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フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「羽生結弦は“羽生結弦”を演じている」“流血の中国杯”を目の前で撮影したカメラマンが語る“羽生劇場”「ドラマよりすごいことが起きている」
posted2022/12/30 11:29
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Tsutomu Takasu
そんな今年を象徴するアスリート・羽生結弦を10年以上撮影してきたスポーツカメラマン・高須力に被写体としての羽生結弦をどのように見てきたのか、話を聞いた。(全2回の前編/続きは後編へ)
時代に1つの区切りがついた
「時代に1つの区切りがついた。プロ転向の一報を聞いた時、そんな印象を覚えました。同時に過去の写真を見返して『こんな時あったな』『この時、横にいたな』とか思い出しますよね。彼を初めて撮ったのが2009年、代々木で行われたジュニアGPファイナルでした。それからもう13年も経つんですね」
そう感慨深げに語るのは、スポーツカメラマンの高須力だ。高須は2002年に活動を始め、今年のW杯もカタールで撮影を行うなどサッカーを“主戦場”としてきた。
東京を拠点にする高須がフィギュアスケートの撮影にも軸足を置くようになったのは、羽生の同郷の先輩・荒川静香の撮影がきっかけだった。
『あ、いけない!』って慌ててシャッターを押したんです
「当時、スポーツ写真を多く取り扱うフォトエージェンーでバイトをしていて、サッカー以外の競技を撮ってみようと、スピードスケートの大会に行ってみました。そこで同じスケート競技のフィギュアスケートも撮影ができることを知って、現場に足を運んだのがフィギュアスケートを撮った最初の機会でした。
その流れで、新横浜でおこなわれたアイスショーに行けるチャンスをいただいて。といっても、フィギュアスケートの撮影自体が当時まだ2、3回目。通常の撮影であれば、400mmの望遠レンズで撮るところを、冒頭のオープニングのときだけ、70-200mmという中望遠のレンズでリンクの照明とかを使ったらどんな写真が撮れるかなと思って、持ち替えていたら、荒川静香さんがでてきて、『あ、いけない!』って慌ててシャッターを押したんです」
高須がとらえたのは「バタフライ」という技だった。家に戻り、写真を見返し、当初は良いとは思えなかったが、一晩して見返すと「面白いかな」と思い、スポーツ雑誌『VS.(バーサス)』(光文社刊、2006年廃刊)に写真を送った。