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フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「羽生結弦は“羽生結弦”を演じている」“流血の中国杯”を目の前で撮影したカメラマンが語る“羽生劇場”「ドラマよりすごいことが起きている」
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTsutomu Takasu
posted2022/12/30 11:29
演技直前の6分間練習で他の選手と激突しケガを負うも、包帯とテーピングをして強行出場した羽生。その瞬間を目の前で見たカメラマンは…
高須が思い出した『スラムダンク』の安西先生
「それまで1年以上、サッカー以外の陸上やテニスの写真を送っていたのですが、なかなか使ってもらえず、正直、腐りかけていました。でも、写真の仕事をする前、ライターを志していた時に戸塚啓さん(サッカーライター)から授かった言葉があったんです。『この仕事をやるんだったら「焦るな。腐るな。諦めるな」』。この言葉を思い出して、『たしかに諦めちゃダメですよね、安西先生(笑)』と気持ちを入れ直し、戸塚大先生の言葉を信じて『VS.』に粘り強く送り続けていたら、この荒川静香さんの写真が初めて採用されたんです。それからその写真を見た他の雑誌の編集者からも撮影の依頼が来るようになり、写真の仕事でやっていけるようになった、そのきっかけを与えてくれた写真でした。荒川さんの写真がなかったら、たぶん今の自分はなかったと思います」
羽生の最初の印象は「なんか絵になるな」
その後、浅田真央などシニア選手の世界大会を追いかける中で、2009年、当時16歳の羽生結弦をファインダーの枠内に初めてとらえる。
「スポーツカメラマンの中で『ジュニアの日本人男子で有望な選手がいるよ』と当時すでに話題になっていました。初めて撮影してみて、スタイルがよく、顔が小さくて、手足は長くて、『なんか絵になるな』と。雰囲気がある選手だなと印象に残りました」
その後、高須のもとにはサッカーの仕事が多く舞い込む。欧州で撮影をこなす日々の合間を縫って、フィギュアスケートの大会を訪れていたが、再び本腰を入れて撮影に臨んだのは2014年、ソチ五輪の後のシーズンになる。
高須が衝撃を受けた中国杯の羽生結弦
「羽生選手が金メダルを獲り、注目を集めていたことがきっかけとしては大きかったです。ただ、その撮り始めたシーズンがあまりに衝撃的で……」
羽生にとってのGPシリーズ初戦、上海で行われた中国杯のフリー前の6分間練習。リンク上、中国選手と振り向きざまに衝突し、羽生は倒れ込む。そのまま起き上がれず、氷上に血が流れ、リンクの中央で天を仰いだ。
「たまたまその場面が目の前で起きて、一部始終をファインダー越しに見ていました。これまでペアやアイスダンスでエッジが当たって手を切ったというのはありましたが、衝突しての流血というのはなく、会場もかなり騒然としていました。起き上がっても頬をつたって血が流れていて、とても演技なんてできる状態ではなかった。当然、棄権するだろうと思っていました」