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ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
モロッコと日本の違いとは? 両国の監督経験者トルシエが説くサッカーの真理「個とコレクティブの均衡が必要だ」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/12/17 17:46
モロッコと日本をそれぞれ評価しながら、トップ10はまだ遠いと論じたトルシエ
——久保建英は期待されながら今大会では開花しませんでした。彼は日本では個の力が最も突出したひとりですが、能力を存分に発揮したとは言えません。そこに日本の抱える構造的な問題があると言えるのでしょうか。
トルシエ それは構造的な問題ではなくチームのタイプの問題だ。久保がモロッコ代表でプレーすれば、彼は大いに力を発揮するだろう。スペインやアルゼンチンでもそうだ。それは彼が個の力を発揮できる場所を与えられるからだ。だが日本では、個の力の強い選手に場所は与えられない。求められるのは規律を守ることであり、ワンタッチで素早くプレーすることだ。つまり彼は日本のシステムに収まる選手ではない。それが理由なのだろうが、チームは久保のためには機能しない。日本サッカーの哲学は、久保のような選手とは馴染まない。
あと数年がたち、久保が歳をとれば、彼はエムバペやメッシのようになるかも知れない。だがまだ彼は若すぎる。今大会で彼が起用されたのはほとんど前半のみで、しかも大半をディフェンスに強いられた。求められたのは献身だ。だがもし最後の20分間に投入されていたら、違う久保を見ることができたかも知れない。起用された時間帯が久保のプレーとはフィットしなかった。
——東京五輪で森保一監督は、久保と堂安(律)の個の力に攻撃を委ねました。しかしそれは五輪のみで、A代表では同じ戦略を採用してはいません。
トルシエ 五輪代表での久保はナンバーワンの選手だったが、A代表ではその地位を分け合う選手が何人もいる。だから久保はまず献身を求められ、とりわけ守備面の指示を多く受ける。彼の本来の力を見る余地はそこにはない。そのうえA代表には競争がある。三笘や南野(拓実)、前田(大然)らとのポジション争いで、監督の選択の問題だ。必ずしもポジションが得られるわけではなく、また彼にとって適切なときに投入されるわけでもない。
だが、私は心配してはいない。久保が日本のこれからに向けて、三笘や堂安らとともにもの凄く重要な選手であるのは間違いないからだ。彼ら若い世代が、2026年のW杯に向けての主軸になる。そのときには今とは別の久保——経験を積みより成熟した久保を見ることができるだろう。
日本サッカーの本質
——つまり森保監督の指向性の問題であると同時に、日本サッカーの問題でもあると言えるのでしょうか。
トルシエ 日本のサッカー教育はコレクティブな教育だ。6歳になってサッカースクールに通い始めて最初に教わるのがパートナーと一緒にプレーすること——コレクティブにプレーすることだ。対して個のプレーは少々野性的で日本には存在しない。日本では規律ある組織的なモデルに従って教育される。そこで選手が学ぶのはオートマティズムであり、壁に突き当たったときの解決策もコレクティブなものだ。個の力での解決ではない。