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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
ドーハは「悲劇の地」ではなく…実はゲンのいい場所? 川島永嗣が語る日本サッカーとの深イイ関係〈李忠成の伝説ボレーも〉
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2022/12/14 11:01
控えGKという立場でW杯を戦った川島永嗣。ドーハへの思いは彼の中で大きかったようだ
かつて自分で撮影したスタジアムの写真を見ても、スタンド上部に設置されたふたつのアーチが辛うじてそれであることを伝えてくれるものの、一体どのあたりから撮ったものなのか、今となってはまったく想像がつかない。
「いや、もう、(風景は)全然違いますよね。本当に何もなくて、それこそピラミッドの、あのホテルくらいしかなかったですから」
川島がそう語る「ピラミッドのホテル」とは、ドーハ湾沿いに建つ白いホテルのこと。接地部分が大きく、高層階へ行くほど小さくなっていく形状から、ピラミッドにたとえられることが多い建物だ。かつてはドーハ随一のランドマークで絵葉書にも描かれるほどだったが、今ではそれを見つけるのに苦労するほど、周囲には高層ビルが林立している。
昔を懐かしもうとドーハ中心部を散策していても、若き川島や本田を取材していた当時を思い出させてくれる風景は、めっきり少なくなってしまった。かつては日本チームの練習取材に行くと、ピッチの脇は殺風景な荒地であることも珍しくなかったが、今では立派に整備された施設がほとんどだ。
「それがあるからこそ今ここにいられる」
2002年アジアユース当時、19歳の川島は、同年の日韓ワールドカップ決勝を前にオリバー・カーンが口にした「Still hungry」という言葉を引き、自分も決して満足せず、上を目指すと話していた。19歳らしからぬ落ち着いた話し口に驚かされたことを、今もはっきりと覚えている。
しかし、川島がどれだけ貪欲な向上心を持っていたとしても、20年後、同じ場所でワールドカップが開かれ、しかも、そこでドイツやスペインを破ることなど予見するのは難しかったに違いない。
39歳になったベテランGKが語る。
「今でも自分自身のなかにそういう欲ってありますし、それがあるからこそ今ここにいられると思うので。そういった意味では、あんまり(20年前から)変わっていないのかもしれないです。
自分が若いときは、どういう未来が待っているかなんて分かっていなかったですけど、やっぱり1年1年、自分が目標に向かってやっていくことで今があると思うんで。今はこういう瞬間に立ち会うことができて、本当にうれしく思います」
ドーハの様子は一変した。だが、悲劇ととも語られることが多いこの地も、実は日本サッカーにとってゲンのいい場所であることに変わりはない。
そんなことがあらためて証明された、今回のワールドカップだったのではないだろうか。<#2/カタールで「日本代表ユニフォーム」ブーム編につづく>
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