- #1
- #2
サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
ドーハは「悲劇の地」ではなく…実はゲンのいい場所? 川島永嗣が語る日本サッカーとの深イイ関係〈李忠成の伝説ボレーも〉
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2022/12/14 11:01
控えGKという立場でW杯を戦った川島永嗣。ドーハへの思いは彼の中で大きかったようだ
「いい思い出になっていますし、自分としても、いろんな経験をさせてもらってありがたいと思いますし、20年後にこうやって、いろんな場所にまた帰ってこられてうれしく思いますね」
とりわけ日本にとってゲンがいい場所となっているのが、川島の言葉にもあるように、ハリファ国際スタジアムである。
今大会で日本がドイツ、スペインを立て続けに撃破したこのスタジアムは、2011年アジアカップで日本が決勝を戦った会場でもある。オーストラリアとの決勝で李忠成が値千金のスーパーボレーを叩き込んだのは、今回のスペイン戦で“奇跡の1mm”が生んだ決勝点と同じサイドのゴールだった。
リオ五輪予選でも韓国相手の大逆転勝利
これらの大会以外でも、日本は同地で開かれた2016年U-23アジア選手権(現U-23アジアカップ)で優勝。同年のリオデジャネイロ五輪の出場権を獲得している。
しかも、決勝の韓国戦は0-2のビハインドをはね返す、まさかの大逆転勝利だったのだから、今にして思えば、今回のワールドカップを予感させるような出来事だった。
当時のU-23日本代表のキャプテンは、今大会にも出場している遠藤航。決勝で逆転ゴールを決めたのは、同じく浅野拓磨である。
また、AFCやFIFA主催の公式戦ではないものの、アンダー世代の国際大会であるカタール国際トーナメントに、日本は一時期よく出場していた。
今回、日本戦を中心とした解説で話題となった本田圭佑も、家長昭博らとともに2005年の同大会にU-20代表の一員として出場。準決勝のノルウェー戦で直接FKを決めるなど、日本の準優勝に貢献している。
「いや、もう、全然違いますよね」
こうしてざっと振り返るだけでも、日本サッカーとドーハ(カタール)のつながりはかくも深いわけだが、だからといって2000年代当時、この国が20年ほどの間にこれほどの発展を遂げるとは、想像できた選手はほとんどいなかったに違いない。
当時のドーハといえば、中心部から郊外に向かって10分も車を走らせれば、たちまち一面の荒野。ハリファ国際スタジアムにしても、何もないところに突如現れる巨大建造物だった。
ところが、現在はというと隣に大きなショッピングモールができ、それらの施設をまとめて取り囲むように、片側4、5車線の広い道路が走っている。