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“長友佑都とインテルで同期34歳DF”引退後の意外過ぎ人生「ワインやオリーブオイルも自家農園で育てているんだ」「優勝した時の喜びは…」
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byANSA/AFLO
posted2022/11/23 11:01
2011年の長友佑都とラノッキア。インテル同期生がW杯を前に、自身のキャリアや日本サッカーへのエールを送ってくれた
「その通りだ、認めるよ(苦笑)。正直に言ってスクデット獲得は難しくないと思っていた。何しろ当時のインテルは、主将サネッティを初めとしてDFマテラッツィ、FWエトー、MFスナイデル、MFカンビアッソ、DFルシオ、DFキブ、MFスタンコビッチ、DFチアゴ・モッタ……トップ選手ばかりが揃うスター軍団だったからね。わずか半年前に“トリプレーテ(※セリエAとコッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグの3冠)”を達成して、クラブW杯も制覇したばかりの世界一のチームだ。彼らに混じって興奮したし、入団した時には『よし、今からスクデットを取りまくるぞ』と意気込んでいた」
「ただ、入団した年のコッパ・イタリアこそ優勝できたもののその後、主力選手たちが年齢を重ねて一人またひとりと退団していった。あんな超一流メンバーを一堂に集めるなんてことはもう不可能だ。インテルは競争力を失い、タイトル争いからも遠ざかって苦難の年月が始まった」
士気を保つのが本当に難しかった
――13-14年シーズン限りで鉄人サネッティ(現インテル副会長)が引退したことは大きな転機でした。14年の夏、彼のキャプテンマークを受け継いだのがあなたでした。
「サネッティの後任というプレッシャーはとてつもなく重かったよ。インテルの長い歴史の中でも“カピターノ(=キャプテン)”と呼ばれた人間は(元会長ファッケッティや名FWマッツォーラなど)本当に数えるほどしかいない。
彼らに名を連ねるのだという誇らしい気持ちが重圧を打ち消してくれた。若手の模範になろうと覚悟を決めたよ。ただ、僕がキャプテンを引き受けた時期は、クラブの大きな転換期で、つねにチームは何かしら混乱していた。オーナーが変わり、自分たちの進むべき方向があやふやで監督や選手の顔ぶれも次々に入れ替わった。士気を保つのが本当に難しかった」
――14-15年シーズン中にマッツァーリ監督が解任され、後任に就いたマンチーニ(現イタリア代表監督)は翌15-16年シーズン開幕を前に、問題行動も多かったエースFWイカルディを新主将に任命。まさかのキャプテン交代は議論を呼び、嘆いたインテリスタも少なくありませんでした。
「キャプテンマークを譲ったことにはとても心が痛んだよ。悲しいことだったけれど、自分に言い聞かせた。“大事なのは形としての腕章じゃない、チームのために何を伝えるか気持ちの問題だ”と。チームには毎年、若い新人やクラブに入団したばかりで戸惑う選手が必ずいた。腕章はなくなったけれど、彼らにインテルでプレーするとはどういうことか、チームとして強くなるためにできることを伝えていこうと思っていた。皆のつなぎ役になることが大事だった」