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“長友佑都とインテルで同期34歳DF”引退後の意外過ぎ人生「ワインやオリーブオイルも自家農園で育てているんだ」「優勝した時の喜びは…」
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byANSA/AFLO
posted2022/11/23 11:01
2011年の長友佑都とラノッキア。インテル同期生がW杯を前に、自身のキャリアや日本サッカーへのエールを送ってくれた
「ナポリ戦で負った怪我が決断に影響したのは確かだ。全治3カ月と診断されて、全力疾走は今もまだできない。復帰には多くの訓練や忍耐が必要だけど、そのための気力やエネルギーは自分の中にもう残っていない、と感じたのが一番の理由だね。クラブのために100%の全力を捧げることができなければ不実になる。そう思う性分なんだ」
「18歳でプロの世界に入ってから、本当に濃密な時間をキャリアで過ごしてきた。幸いにも僕は若いうちにインテルというビッグクラブに入団することができた。ただ、一度強豪に移籍するという夢がかなっても、ビッグクラブという場所はずっと緊張状態が続く。
練習のレベルと頻度は上がり、移動距離も飛躍的に増え、3日ごとに本番の試合がやってくる。地方クラブにいた頃と比べて、人生は激しいものに変わった。目標やタイトルとは別の部分で、肉体的にも人との関わりにもエネルギーを費やすことを11年続けてきた」
「リハビリをしながら、自分に問いかけてみたんだ。『自分のキャリアに満足しているか?』と。答えは『シィ(=イエス)』だった。何かやり残したことはあるか、後悔はあるか。自問自答したけれど、何もなかった。辞めるときがきたんだ、と悟った」
古巣に戻ることは美談のように見えて、実は…
――現役の最後に古巣ペルージャ(現在セリエB)でプレーするという考えはなかった?
「いや、その考えはなかった。(00年から育成部門で4年過ごした)ペルージャはキャリアの出発点で愛着もあるけれど、古巣に戻ることは美談のように見えて、実は面倒の種になりかねない。アッシジとペルージャは隣町で、周囲の人たちは全員ペルージャの熱心なファンばかり。
だから、スクデットや代表の経験ある僕がそこでプレーしたとして、成績に恵まれている間はいいけれど、もし負けが続けば批判が起きて、人間関係がギクシャクするのは目に見えている。自分が生まれ育ち、またこれから先も家族と長い人生を送ろうと考えている土地だからこそ、安易な古巣復帰は避けた方がいいと思うんだ」
――なるほど。キャリアをたどるとペルージャの後、2部のアレッツォでプロデビュー。南部のバーリでセリエAの初舞台を踏んで、10年夏からジェノアへ。キャリアの一大転機は11年1月のインテル入団でした。
「あのシーズンは、前半戦をガスペリーニ監督(現アタランタ)のジェノアでプレーしていた。インテルが僕の共同保有権を持っていることは知っていたけれど、実際に移籍するチャンスがあれば翌年以降だと考えていたんだよ。でも、冬の移籍市場のタイミングで(当時のインテル主力DF)サムエルが怪我をした。センターバックが足りないということになって急遽、僕が呼ばれた。ジェノアの年明け合宿の最中で、ホテルからバッグ一つでミラノに駆けつけたのを覚えてるよ」
当時のインテルはサネッティをはじめとして…
――正直に答えてほしいんですが、インテルに入団したとき、すぐにでも優勝できると考えていたのでは?