- #1
- #2
“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
中村俊輔との出会いが名将・佐熊裕和の指導を変えた? 熱血先生が“教えないこと”に気づいた瞬間〈新潟から11人Jリーガー輩出〉
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2022/10/28 11:06
2018年の人工芝グラウンド完成時に母校・桐光学園に駆けつけた中村俊輔。佐熊氏と言葉をかわした
12年に北信越大学リーグで優勝した新潟医療福祉大だったが、全国大会では結果を出せずにその後は低迷が続いた。サッカーに対する情熱も選手それぞれによって異なり、中には関東や関西の大学へ強烈なコンプレックスをもつ選手もいた。そんな環境が、佐熊の心に火をつけたのかもしれない。まず取り掛かった仕事は選手の「意識改革」だった。
選手たちと会話を重ね、自分たちがどうありたいかを議論し、サッカーのスキルだけではなく、人間力をあげることに着手。就任2年目からは推薦枠を増やし、全国を回ってスカウト活動に行脚し、地道にチームのレベルを引き上げていった。
すると就任4年目の17年にリーグ優勝を達成すると、そこから5連覇を成し遂げ、現在では関東の強豪大学を断ってまで“新潟”にやってくる選手も現れるようになった。
「選手たちには毎日、『対関東、対関西』という意識を伝えて、練習に取り組んでいます。北信越だとリーグ戦でも実力差が大きい試合がある。だからこそ、毎日のトレーニングの強度をあげないといけないし、紅白戦も公式戦さながらにガツガツと激しくプレーすることを求めます。同時に、全員がプロになれるわけではない世界ですから、彼らをきちんと社会に出すための“最後の仕事をしている意識”も大切にしています。
今でも、選手それぞれの可能性を消さないために“余白”を空けておくことは考え方の軸になっていますね。高校生だろうが、大学生だろうが、プロや社会人であろうが、結局、最後は個なんです。本人だけで解決する力を身につけることは社会に出ても武器になる。それも俊輔に教えてもらったことです」
強い個が強い組織をつくる。だから指導者は、選手の個を見出し、磨き、導くことが求められる。その過程に決まった正解なんてない。
「指導者と選手は、師匠と弟子ではない」
1人の才能との出会いが、指導者人生を大きく変えた。いや、1人の高校生から学びを得て、自らの価値観を柔軟に変化させた佐熊にも指導者としての才があったということだろう。
教え子の中村が大きな決断をした今、佐熊も新しいチャレンジを決めた。これまでの“外部監督”という立場から“教授”に役職を変えたのだ。
「高校とは違って、選手たちの学校での様子が分からず、アプローチで悩むこともあった。しっかりと選手それぞれと人間として向き合えるように教授という肩書きをいただきました。指導者と選手は師匠と弟子ではない。互いに学びを与え続けられる同志なんです」
30年近く前、中村俊輔と過ごした日々と変わらぬ情熱と視座をもって、佐熊は今も未来を担う選手たちと全力で向き合い続けている。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。