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プロ野球PRESSBACK NUMBER
消えたオマリーのパンツを探せ! 大杉勝男、古田敦也、バレンティン……“伝説の用具担当”が語る歴代スワローズ選手たちの愉快なこだわり秘話
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2022/10/11 11:02
1995年リーグ優勝を果たしたヤクルト・野村監督(左)はビールかけでオマリー(右)の〝攻撃〟を受ける
選手のなかで最も多くの道具を身に着けるのはキャッチャーだ。マスク、プロテクター、レガース……加えてトレードマークの眼鏡をかけていたのが古田敦也。当時の捕手では珍しかったため、さまざまな試行錯誤があった。
「一番気を遣っていたのが雨の日です。眼鏡が濡れて視界が悪くならないように、キャッチャーマスクのおでこの部分に手作りで雨除けをつけていたんです。最初は紺色の布製のものでしたが、キャッチャーフライが上がった時に見づらいということで、途中からは透明なシールドを作ってもらってホックで取り付けていました」
古田専用の雨除けを装着するため、空模様にも気を配った。
「雨が降りそうだな、と思ったら雨除けを用意しておいて、お天気次第でイニング間にパパっとマスクに装着しておいたりしていました。懐かしいですね」
古田の眼鏡を守れ! 試行錯誤した「特注雨除け」
用具担当は天気予報に詳しくなる。キャンプ中のグラウンド管理や、水に弱い道具の出し入れに気を遣うからだ。今ではスマホで雨雲レーダーなどを簡単にチェックできるが、野村監督時代は寺井さんが気象庁に直接電話をかけ問い合わせることもあった。
「天気はいつも気になりますね。練習で雨用のボールを使うかどうか、グラウンドにシートをかけておくとか、色々と判断することが多いですからね。神宮では当時、一塁側ベンチから見て、バックスクリーンの右側に見える電波塔が曇って見えなくなると必ず雨が降る、という言い伝えもありました」
陽気で自由奔放。日本プロ野球記録のシーズン60本塁打を放ったバレンティンにはちょっぴり手がかかった。何しろ、目立ちたがりで流行りモノには目がない。アメリカで新しいバットが出たとなればすぐに取り寄せ、突然ド派手な用具を使いだすこともあった。