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野村克也監督のバッグを忘れる大失態! 平謝りの裏方に名将がかけた言葉は…ヤクルト一筋44年“伝説の用具担当”が明かすスワローズ秘録

posted2022/10/11 11:01

 
野村克也監督のバッグを忘れる大失態! 平謝りの裏方に名将がかけた言葉は…ヤクルト一筋44年“伝説の用具担当”が明かすスワローズ秘録<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

野村克也監督時代の1992-93年以来の連覇を果たした東京ヤクルトスワローズ

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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Hideki Sugiyama

 29年ぶりとなるセ・リーグ連覇を果たした東京ヤクルトスワローズ。その喜びを密かにかみしめていた“伝説の用具担当”がいる。スワローズ一筋44年という65歳の寺井忍さんだ。1978 年の初優勝から全9度の優勝に球団スタッフとして関わり、故・野村克也監督ら11人の指揮官が率いるチームを支えてきた。スター選手の用具にまつわる秘話、名将との忘れ得ぬ思い出、スワローズに流れ続ける「ファミリー球団」の温かさについて聞いた。(全2回の1回目/#2へ)

 途中出場のルーキー、丸山和郁が弾き返した打球が左中間を破り、二塁走者の塩見泰隆がサヨナラのホームを踏む。9月25日、劇的なサヨナラ勝利によるリーグ優勝の瞬間を、寺井さんは埼玉・戸田市にあるヤクルト球団の「戸田クリーニング場」のテレビで見ていた。

 グラウンド上でビールかけが始まり、選手の笑顔が弾ける。まもなく日付が変わり、さらに数時間かすれば、このクリーニング工場に、歓喜と涙と麦とホップがたっぷりしみ込んだ、ビールまみれのユニフォームが大量に運び込まれる。

「選手たちが、本当にホッとしたという表情をしていましたね。今年は6月くらいから独走していましたけれど、色々なプレッシャーがあったのでしょう。あの表情を見て、私も本当に嬉しい気持ちになりました」

 寺井さんがスワローズに携わったのは、スポーツ用品メーカーの新入社員だった1978年のこと。広岡達朗監督率いるチームで主に二軍を担当し、練習や試合の用具準備を担った。4年後の82年にメーカーを離れて球団に入り、以来「用具担当」ひと筋40年余り。生き字引的な存在として定年まで勤め上げた後、2019年からは継続雇用の形でクリーニング担当をしている。関東で開催される試合で使用したユニフォームを回収して洗濯し、届けるのが仕事だ。 

「回収したユニフォームを見ただけでも色々なことが分かりますよ。山田(哲人)選手や宮本(丈)選手は、守備や走塁でよく滑り込むので生地が破れるのが早いんです。今年沢山試合に出た長岡(秀樹)選手のユニフォームはいつも泥だらけ。村上(宗隆)選手も体は大きいですが結構足が速くてスライディングするのでお尻や膝がよく破れていますね。投手でも、梅野(雄吾)選手や高橋(奎二)選手は体を大きく使って投げるので、軸足の甲の部分や足首のところの生地が傷むのが早いんですよ」

 ぽつぽつと語る言葉にも愛情がにじむ。寺井さんが選手に向ける眼差しはいつも温かい。

【次ページ】 ボストンバッグを積み忘れ……大失態に野村監督は

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