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「昔はハリルさんに怒られたけど」「ドイツ語力も…」30代となった原口元気に「心の余裕ができた」2つの決定的理由
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byBoris Streubel/Getty Images
posted2022/09/27 11:09
ウニオン・ベルリンで戦術眼を磨いた原口元気。プレースタイルの変貌について、彼に聞いてみた
しかし、あのときは、監督とポジションに関する話をするのはあえて控えた。そもそも森保監督は、選手がどれくらいチームのために行動できるのかを注視し、それができる選手を高く評価するタイプだ。さらに、所属クラブの試合をしっかり見るタイプであることも理解していた。
だから、原口はこう考えた。
「俺は1分でも長く試合に出たいし、ウニオンと同じようにインサイドハーフで使ってもらいたかった。ただ、あの予選が(最初の3試合で2敗するなど)苦しいところから始まったなかで、当時は『チームとして』予選突破をどうにかして決めないといけない状況だった。そこで『個人的な希望』を伝えるのは違うなと。もしも、予選が終わった後にも自分をインサイドハーフの選手として考えてくれないようだったら、そのときはまた考えよう」
結果的に6月シリーズでは、出場3試合すべてでインサイドハーフとして送り出されたのだった。
良い意味で、心に余裕をもってやれるというか
そして、ビッグチャンスを活かせた2つ目の理由が、メンタル面の変化だ。これは様々なことに動じなくなり、心に余裕が生まれたとも言い換えられる。
「アウクスブルク戦の後は、チームのパフォーマンスも下降気味だったから。『俺が普段の実力を出せれば、いま試合に出ている選手たちよりも良いプレーができるはずだ』と考えられていて。だから、試合に出られないとしても、調子とコンディションをキープしておこうと心がけて頑張ることができた」
この思考法が、以前とどう違うのか。原口は自ら説明する。
「若いときは試合に出られないと悔しいから、その悔しさをとにかく伝えていた。監督とも感情的にコミュニケーションを取っていた感じ。
ただ、今は監督の起用法にもストレスを感じずに、良い意味で力が抜けて、心に余裕をもってやれるというか……」
昔はベルリンって退屈な街だと思っていたんだけど
原口は2014年夏から、17-18シーズンまでヘルタ・ベルリンに所属していた(最後の半年間はデュッセルドルフにレンタル移籍)。ウニオンの本拠地でもあるベルリンの街に住むのはこれが2回目のこと。同じ街で再び暮らすことになったからこそ、当時との変化をビビッドに感じられる。
「20代の頃は、サッカーやコンディショニングのために節制したり、無駄なエネルギーを使わないようにしなければという想いが強すぎたよね。『外食なんてしたくない! 今日もご飯を作って』と嫁に伝えることがほとんどだったし。あとは、当時ベルリンにいたときには、ドイツ語力も今とは比べものにならず、そこにもストレスを感じていたから」
だが、今は違う。当時と比べれば、ベルリンの街に出かけることも増えた。
「実は、昔はベルリンって退屈な街だと思っていたんだけど、まず、その認識が変わったよね」