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18歳だった朝青龍の“やんちゃ伝説”「ケンカで浴衣をビリビリに」「タクシー通学で激怒され…」それでもなぜドルジは嫌われなかったか? 

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/09/27 17:15

18歳だった朝青龍の“やんちゃ伝説”「ケンカで浴衣をビリビリに」「タクシー通学で激怒され…」それでもなぜドルジは嫌われなかったか?<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1998年、ダグワドルジ(朝青龍)が新弟子検査を受ける1カ月前の貴重な1枚。2010年1月場所で25度目の優勝を果たし、翌月に不祥事で現役引退。横綱・朝青龍とは何者だったのか?

 同じ時期に教習所に通い、のちに付け人となった岡田泰之(元三段目・男女ノ里)はクラスメートの悪行を思い出して笑いながら言った。

「横綱にしてみたらモンゴルから来て日本語を喋れるだけで御の字なのに、字なんて書くわけないじゃないですか。習字なんて危ない時間は教官もちゃんと目を光らせておけよって思うんだけど(笑)」

 いまであれば『朝青龍+墨+筆』の組み合わせは“まぜるな危険”だと多くの人が理解できても、当時の親方衆や教官たちにそこまでの認識がなかったのは仕方がない。

 いざこざのあった力士の泥着(浴衣)をびりっびりに引きちぎり、それが見つかって怒られては「朝青龍の机の列は全員前に出ろ」と周りの人間まで不条理な連帯責任を取らされた。タクシーで通学してきて怒られたこともあった。さまざまなやらかしをしながらも、それでもなぜか集団で浮いてしまうということはなく、むしろ「ドルジ、ドルジ」と多くの人を惹きつけるような存在だったという。

「よくぞこんなにたくさんの人の中にいて、これだけ目立てるなと。何か悪さをしてもテヘッと笑ってどこかに行っちゃった。憎めないというのか、優しいというのか。やっぱりなんだか華がありましたよね」

 そのあたりはヒールでありながらどこか憎みきれないキャラだった横綱時代とも相通じるものがある。

「オレとお前じゃここが違うんだよ」

 尋常でない稽古量でぐんぐん力をつけ、番付が上がればそれをまた稽古へのモチベーションに変える。

 朝青龍が十両に上がった頃、まだ幕下だった春日王は巡業中にその部屋を訪ねた。当時はまだ外国出身力士で巡業に出ている力士も少ない時代で、同じ境遇の2人で将来の話をした。

「次の目標はどこ?って聞いたんです。そしたら『いや、横綱になるよ』って。そんなに簡単じゃないでしょと言った記憶があるけど、本当にあっという間に横綱になったからね」

「うまく行ったら幕内」とキャリアを描いていた春日王が十両昇進を果たしたのは2002年7月場所。その頃、朝青龍は大関獲りに挑んでいた。翌年に入幕を果たした時には、朝青龍はもう番付の頂点を極めていた。もし朝青龍と同じくらいの強烈な上昇志向と稽古量があったら(それが一番難しいのだが)、2人の差はどうなっていただろう。

 教習所を卒業してからも朝青龍とは出稽古や巡業で何度も稽古をしたが、本場所での対戦はキャリアを通じて2007年春場所の1回こっきりだった。当時、春日王の番付は前頭三枚目。朝青龍はすでに綱を張って5年目になっていた。

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