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18歳だった朝青龍の“やんちゃ伝説”「ケンカで浴衣をビリビリに」「タクシー通学で激怒され…」それでもなぜドルジは嫌われなかったか?
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byJIJI PRESS
posted2022/09/27 17:15
1998年、ダグワドルジ(朝青龍)が新弟子検査を受ける1カ月前の貴重な1枚。2010年1月場所で25度目の優勝を果たし、翌月に不祥事で現役引退。横綱・朝青龍とは何者だったのか?
「例えば私が腕立てを50回やったら隣で60回やるんですよ。それで今度は70回やったら100回やっちゃう。また私が110回やったら200回やっちゃうんですよ。ぶつかり稽古も私は早く強くなりたかったから、普通は1回なのに2回押したんです。そしたら朝青龍は3回やってたんですよ。それをすごく覚えてます」
「ドラゴンボールの孫悟空みたい」
巡業を休んでモンゴルでサッカーに興じていたことを報じられるなど、すっかり稽古をサボりがちになった横綱時代の印象が強いものの、大関・横綱に昇進するまでの朝青龍の猛稽古は誰もが「すごかった」と口を揃える。同じくA土俵で汗を流し、序ノ口時代に朝青龍にプロ初黒星をつけた田代良徳(元幕下・東桜山)の証言からも迫力が伝わってくる。
「俺らがハアハア言いながら最後の四股を踏んでるのに、朝青龍はヨイショ! ヨイショ!って吠えながら、もっとやらせてくれよ! みたいな雰囲気だったんです。しかもそれを苦しいんじゃなくて楽しんでやっていた。『もっと強いヤツいねえのか』『俺がぶん投げてやるよ』って、ドラゴンボールの孫悟空みたいな感じなんですよ」
2000年の初場所前の横審稽古総見では、当時の時津風理事長(元大関・豊山)も低調だった関取衆の稽古を尻目に、「幕下の朝青龍という力士は非常にいい。期待できる」と名指しで褒めている。関取になってから巡業に出た時も、本土俵での稽古に臨む前に必ず山稽古(※土俵以外のグラウンド等で行う稽古)で汗を流し、並の力士の2セット分の練習量を平気でこなした。部屋での稽古もすり足や鉄砲、スクワットを散々やって誰よりも汗をかいてからテーピングを巻き、そこから土俵に上がって「もう一丁! もう一丁!」とエンドレスに申し合いを続けた。加えて一門の横綱でもある曙の胸を借りることで、メキメキと力をつけていった。
初土俵を踏んでから横綱に上がるまでわずか4年余り、25場所での昇進は、幕下付け出しを除けば史上最速記録だった。あまりにあっという間だったから見過ごされがちではあるが、そこには圧倒的な稽古量という確かな裏付けがあったのだ。
「字なんて書くわけないじゃないですか」
もちろん朝青龍ほどの男が、ただの優等生であったはずがない。習字の時間になれば墨と筆を持って走り回り、教官たちが隣の部屋の土俵で稽古をしているのをいいことに人の背中にベタベタと墨を塗りたくった。