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関根潤三が「“大洋の遠藤”でいいんじゃないか」遠藤一彦が大洋ホエールズとともに引退を決めたワケ「ひとつの絵になるかと納得できた」

posted2022/10/07 06:21

 
関根潤三が「“大洋の遠藤”でいいんじゃないか」遠藤一彦が大洋ホエールズとともに引退を決めたワケ「ひとつの絵になるかと納得できた」<Number Web> photograph by SPORTS NIPPON

1992年10月7日、「ホエールズ」が消滅する日に引退し、胴上げされる遠藤一彦。その決断の決め手となったのは関根潤三元監督だった

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石塚隆

石塚隆Takashi Ishizuka

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SPORTS NIPPON

 1950年から42年間続いた“クジラ”の名前がなくなる日。今からちょうど30年前の10月7日は横浜大洋ホエールズを背負って投げ続けた遠藤一彦の引退と、横浜ベイスターズのエースとなる三浦大輔デビューが交錯していた――。
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我が社はこれ以上クジラに頼るわけにはいかない

 1992年10月7日、伝統ある球団名はこの夜を最後に消え、“星”となった――。

「寂しいという気持ちで一杯でしたね」

 先発としてマウンドに立った遠藤一彦は、26年前のことを思い出す。

 セントラルリーグが発足した1950年に誕生した“大洋ホエールズ”は、1992年、42年間の歴史を閉じることになった。翌年からは、親会社である大洋漁業は変わらないものの“ホエールズ”ではない別のチーム名になることが決まっていた。

 その理由を中部慶次郎オーナーは、大洋漁業の主力事業だった商業捕鯨の規制が強まっているとし「我が社はこれ以上クジラに頼るわけにはいかない。だから球団の愛称も変更しなければ」と説明している。

ああ、今日でお終いなんだと思いました

 横浜スタジアムには3万人の大観衆が詰めかけていた。1992年の本拠地最終戦となる巨人戦、例年であれば消化試合の時期でありスタンドは閑散としていたものが、この日ばかりは普段とは違う異様な雰囲気が漂っていた。

 ホエールズ最後の日に加え、このゲームは沢村賞など数々のタイトルを獲得してきた遠藤一彦の引退試合でもあった。

「ああ、今日でお終いなんだと思いました」

 感慨深げに遠藤は述懐する。

 登板の日は午前10時に目を覚まし、ハマスタへ向かう準備をする。1978年、川崎市から横浜市に本拠地を移転し“横浜大洋ホエールズ”とチーム名が変わった年に入団してから15年、引退するこの日もリズムは変わらなかった。

【次ページ】 普段の巨人戦と一緒だな

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