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関根潤三が「“大洋の遠藤”でいいんじゃないか」遠藤一彦が大洋ホエールズとともに引退を決めたワケ「ひとつの絵になるかと納得できた」
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph bySPORTS NIPPON
posted2022/10/07 06:21
1992年10月7日、「ホエールズ」が消滅する日に引退し、胴上げされる遠藤一彦。その決断の決め手となったのは関根潤三元監督だった
普段の巨人戦と一緒だな
「今日投げ終われば、もう勝った、負けたにこだわらず過ごしていけるんだな」
正午に家を出た。普段であれば東戸塚にあった自宅から電車に乗って行くのだが、この日はテレビ神奈川の密着取材があり、タクシーで一緒にハマスタへ向かった。
午後2時からアップを始め、遠藤はルーティンをこなす。いつもと変わらぬ光景。じつは神宮球場ではヤクルトと阪神の首位攻防戦があり、ハマスタに報道陣が多く集まっているわけではなかった。だから遠藤は「普段の巨人戦と一緒だな」といった認識しかなかった。
サインはいつも通りでいいですね
だがハマスタが開門すると状況は一変する。続々とホエールズファンが姿を現し、スタンドは人で埋まっていった。
「ライトスタンドに横断幕が掲げられたり、ファンが手作りの小さなプラカードを持っていてくれたり、雰囲気が違いました。僕の引退試合ということに限らず、ホエールズ最後の試合ということでたくさんの人が詰めかけてくれたんでしょうね」
キャッチャーは、出身校の東海大学の後輩である市川和正が務めた。
「サインはいつも通りでいいですね」
長い付き合い。試合前、市川が遠藤にかけた言葉はこれだけだった。
ちなみに市川は、1試合前の10月4日の阪神戦で決勝打を放ち、お立ち台で「横浜大洋は次の試合でお終いだから、必死で打ちました!」と涙ながらに絶叫している。
雄々しいホエールズファンの大歓声の中、まっさらなマウンドへと遠藤は向かう。
「あの瞬間、本当に最後なんだと胸に迫るものがありましたね……」