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オリンピックPRESSBACK NUMBER
「少年院は引退後の夢を叶えてくれた場所」元”スーパー女子高生”小林祐梨子が後悔する現役時代「”できません”のたった5文字が言えなかった」
posted2022/07/21 17:02
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Yu Shoji
「将来の夢はオリンピアンか数学の先生でした」と振り返る小林さん。どのようにして塀の中の教室へとたどり着いたのだろうか。少年たちのリアルな現状や計算指導に込める思いを聞いた。全2回の後編/前編は#1へ
「フルマラソンって、42.195kmやんな? じゃあハーフマラソンの距離は計算したらなんぼになると思う?」
播磨学園の教室が、小林さんの快活な関西弁に包まれる。頭を丸めて、紺色の寮内服を着た3人の少年たちが教壇を囲み、板書に書かれた問題をじっと見つめながら、ノートに答えを書き込んでいく。
ほんまに先生かあいつ?って思われてるかも…(笑)
まだ幼さが残る17〜20歳の少年たちは、小林さんが北京五輪に出場した当時は3歳から5歳くらいだろうか。記憶があったとしてもおぼろげだろうし、彼らにとっては「オリンピアンの小林祐梨子」という意識はさほどないのではないか。
「私がオリンピアンだと知っているかですか? 他の先生たちが言ってくれてるみたいですけど、正直なところ『ほんまなん?』って思っている子たちがほとんどだと思いますよ。むっちゃ関西弁やし、すぐ間違えるし、そもそも『ほんまに先生かあいつ?』って思われてるかも……(笑)」
小林さんが播磨学園を初めて訪問したのは、現役引退した2016年の1月だった。毎年冬にある、学園内の駅伝大会に向けたランニング教室の依頼を受けた。講演とランニング指導を終えた帰り際、当時の職員から聞いた話が、教員免許を持つ小林さんの興味を掻き立てた。
「小学4年生前後の算数でのつまずきと非行に走ることには相関関係があって『10歳の壁』と呼ぶそうなんです。だから少年院には計算能力の乏しい子が多く、ちょうど授業を受け持つ外部の先生を探しているとのことでした。実は引退してから近所の子たちの家庭教師みたいなこともしていたんです。その話を聞いて興味を持ったので、その場で『私にやらせてください!』とお願いしました」
数字で明確に表せるものが好き
小林さんは高校から実業団に進んだランナーには珍しく、四年制大学を卒業している。豊田自動織機に入社すると同時に、社内留学制度を活用して岡山大に進学。元々理系だったのもあり、数学を専攻して、高校の教員免許を取得した。