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オリンピックPRESSBACK NUMBER
高3で1500m日本新、”スーパー女子高生”小林祐梨子33歳は2児の母になっていた「ネギさして自転車漕いでるほうが”私らしい”」
posted2022/07/21 17:01
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Yu Shoji
小林さんは2008年の北京五輪、09年のベルリン世界選手権に出場し、2015年に現役引退を表明。引退後に中学2年生から14年間付き合った男性とゴールインし、現在は2人の息子を育てながら、解説者やラジオパーソナリティーとして活躍している。
妻となり、母となった33歳の小林さんに、“若手アスリート”として注目されたゆえの葛藤や、引退後の自身を支えた家族への思いを聞いた。全2回の前編/後編は#2へ
「恐らくですけど、私の陸上人生は2009年で止まっているんです」
意外な言葉がとびだした。現役引退を表明する約5年半前、2009年のベルリン世界選手権を終えた時点で、自身の陸上人生は事実上「終わっていた」のだと言う。
「スーパー女子高生」が抱いていた葛藤
2000年代の女子中長距離界は、“小林祐梨子”の名前とともに時を刻んでいたといってもいい。
須磨学園高2年生だった2005年、世界ユース選手権1500mで銀メダルに輝き、帰国後に1500m、3000mの高校記録を塗り替えた。高校3年生にして、1500mで4分07秒86の日本記録を樹立する快挙を達成。兵庫県小野市の田園地帯でのびのびと育った少女は一躍、全国区の注目選手となる。
その勢いは社会人になっても止まらない。豊田自動織機に入社すると、2年目で日本選手権5000mを制し、19歳で北京五輪代表の切符を獲得。小学校の卒業アルバムに書いた、「20歳でオリンピック出場」の夢をその年に叶えた。10代で一身に浴びた注目を、どのように受け止めていたのだろうか。
「高校生で日本記録を出して、19歳でオリンピックに出場して、若いうちから注目されたことで『こうあるべきだ』という強い小林祐梨子像を取り繕っていましたね。福士加代子さんみたいに『遅かったー!』ってありのままの自分をさらけ出すことにすごく憧れがありました。でも、私はそれができなくて常に『いい自分』を描こうとしていたんです」
陸上人生で初めて感じた「できない」
葛藤をさらに深めたのは、冒頭にあった2009年のベルリン世界選手権のこと。小林さんは5000mで決勝に進出し、15分12秒44で日本人トップの11位に入った。大会二ヶ月前までケガに悩んでいたことを思えば、十分すぎる結果に映る。だが、小林さんにとっては最大の「挫折」だった。