- #1
- #2
野球クロスロードBACK NUMBER
憧れの大阪桐蔭に入学後、背筋が凍った“森友哉の打球”…3年間ベンチ外→現ドラフト候補・宮本佳汰(24)が明かす“高校時代の葛藤”
posted2022/06/02 11:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
大阪桐蔭に行って後悔はなかったか?
この問いに、宮本佳汰はすぐ答えた。
「今考えると、大阪桐蔭に行ってよかったなって思います」
宮本は「今」と言った。24歳の現在でも社会人野球のJR東海でプレーしていることからも、今の自分を肯定できるのはわかる。
しかし、当時はどうだったか? 宮本は時計の針を丁寧に巻き戻すように言葉を発す。
「『成長できたのかな?』って。悔しいっていうより、『こんなもんやったんかな?』っていうのが自分のなかにありました」
宮本は高校時代、公式戦で一度もベンチ入りできなかった。それどころか、トップカテゴリーのAチームで試合に出場した経験すら記憶に残っていないほどである。
大阪桐蔭でやり切れたのか?
胸を張れないから、不甲斐ない。それだけ、宮本にとって大阪桐蔭とは特別な存在だった。
小学生のときから「大阪桐蔭に行きたい」
2008年夏。テレビに映し出された名門校に、福岡県に住む小学生は心を奪われた。
打率は5割を超え、ホームランも打てる超攻撃的なトップバッターの浅村栄斗(現楽天)、マウンドに君臨するエース・福島由登……甲子園でプレーする大阪桐蔭の全員が輝いていた。6試合を戦い1試合平均10.3得点と圧倒的な強さで日本一となったチームに惹かれた少年は、「大阪桐蔭に行きたい」と両親に告げるほど想いを馳せるようになった。
中学生となり、水巻ボーイズに入団したのも、08年の優勝メンバーである永島太一など大阪桐蔭への進学実績があったからだ。
「テレビで見たことがある人だな」
宮本が初めて西谷浩一を間近で見たのは、中学1年の秋だった。九州の試合を視察に来ていた流れで立ち寄ったという大阪桐蔭の監督の前で、たまたまピッチングを披露できた。しかしこの時は、それが西谷だとすぐには気づかず、「大阪桐蔭の監督さんだよ」とチーム指導者に教えてもらい、胸を躍らせた。
だからといって、この出来事が大阪桐蔭への切符を確定させていたわけではない。当時はまだ1年生であり、その後の宮本は故障を繰り返すようになっていた。