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憧れの大阪桐蔭に入学後、背筋が凍った“森友哉の打球”…3年間ベンチ外→現ドラフト候補・宮本佳汰(24)が明かす“高校時代の葛藤” 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2022/06/02 11:00

憧れの大阪桐蔭に入学後、背筋が凍った“森友哉の打球”…3年間ベンチ外→現ドラフト候補・宮本佳汰(24)が明かす“高校時代の葛藤”<Number Web> photograph by Genki Taguchi

憧れの大阪桐蔭に入学するも、3年間ベンチ外だった宮本佳汰24歳。いかにして“ドラフト候補”にまで成長したのか

「ギリギリまで『痛い』って言わなかった……言えなかった。自分の性格もあると思うんですけど、『うまくなりたい』って気持ちはありましたし、痛いからって休んでばっかりいると周りにどんどん差をつけられるんで」

「データ分析班」として臨んだ14年夏の甲子園

 思うように練習ができないなか自然と裏方業務が増えていったが、やりがいはあった。彼の入学と同時期にコーチとして母校に戻ってきた石田寿也がデータ分析を採用するようになったことで、「一緒にやろうか」と誘われるようになったからである。

 主に担当したのは、ピッチャーをはじめとするプレーヤーの動きの分析だった。そのなかには相手の特徴、つまり癖を探し出す作業もあり、宮本はその眼力に長けていた。

 鮮明に覚えているのは高校2年の夏。甲子園準決勝の敦賀気比戦での分析だった。

 相手が決まると、すぐに映像をチェックした。「何時間観たかわからんくらい」何度も、何度も。その末に、宮本は法則を導き出した。

 敦賀気比の2年生エース・平沼翔太は、セットポジションに入ると、ストレートと変化球でグローブの位置が違うことに気づいた。さらに「左バッターにしかチェンジアップを投げない」という傾向も見出した。コーチの石田に伝え、それはチームの戦術に落とし込まれた。結果、平沼から12得点を奪い、15-9と乱打戦をものにした。

「データ班がしっかり分析してくれた」

 試合後に主力選手たちが感謝の言葉を並べる。そのことを人づてに聞き、翌日の新聞記事などでも目の当たりにした宮本は、自分も甲子園で戦っているような心地を覚えたという。

「あの試合は、データ班としての役割が一番ハマったというか。『自分がやっていることは意味があるんだ』って思わせてくれました」

 14年夏、大阪桐蔭は春夏通算5度目の全国制覇を果たした。チームはベンチ外のメンバーも大事にする。彼らも貴重な戦力であり、グラウンドでプレーするメンバーと一蓮托生で戦えることこそがこのチームの強みであり、言うなればフィロソフィーでもある。

 そんな体温のあるチームだから、宮本は「辞めたい」と思ったことが一度もなかった。

一緒に戦えた実感と「選手としての可能性」

 ただ――ふと、こう思う瞬間はあった。

「地元の高校に行っていたら、どうなっていたんだろう」

【次ページ】 高校野球が終わった日、去来した思い

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