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「何度も怒られました。でも…」中村憲剛の胸に深く刻まれた“オシムの言葉”とは?「日本人よりも日本の可能性を信じてくれていた」

posted2022/05/07 17:02

 
「何度も怒られました。でも…」中村憲剛の胸に深く刻まれた“オシムの言葉”とは?「日本人よりも日本の可能性を信じてくれていた」<Number Web> photograph by AFLO

2007年6月、モンテネグロとの国際親善試合で故イビチャ・オシムさんから指示を受ける中村憲剛氏と鈴木啓太氏。名将の教えは後進に大きな影響を与えた

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中村憲剛+戸塚啓

中村憲剛+戸塚啓Kengo Nakamura + Kei Totsuka

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 オシムジャパン最後の一戦は、2007年10月のエジプト戦である。国際Aマッチ16試合目の出場となる中村憲剛氏は、中盤の一角を担ってフル出場し、4対1の勝利に貢献した。

 この試合には知られざるトピックがある。イビチャ・オシムという監督の思考が良く分かる代表チームの“裏話”を、中村氏は懐かしそうに振り返ってくれた。(全2回の2回目/前編へ)

◆◆◆

 エジプト戦はJリーグの合間に行なわれて、僕の記憶が確かなら所属クラブの試合が終わった選手から随時合流する形でした。試合が終わってその日のうちに移動してくる選手と、翌日に移動してくる選手がいたはずですが、どちらにせよ集合当日はリカバリーになります。軽く走ってボールに少し触って終了、というぐらいのメニューです。

 ただ、このときは違ったんです。

 集合した当日に、練習試合をやったんですよ! 相手はJFLのチームで、こちらは地元のJリーグのユースチームに手伝ってもらい、高校生が5、6人交じっていました。

 しかもオシムさんは、「どの程度の強度でやるのかは自分で決めなさい。ユースの選手がいるけど、うまく戦いなさい」と言うのです。このリカバリーのやりかたはおそらく前代未聞で、これを読んだサッカー関係者の方はびっくりするのではないでしょうか。それくらい常識では考えられないものでした。

 ものすごく考えました。リーグ戦の翌日で移動もあったので、疲労感がかなり残っている。ケガもしたくない。それでも試合をする──肉体的な負担を少しでも減らしたいので、より良いポジショニングとタイミングの良いランニングをいつも以上に心掛けました。効率が良いだけでなく、勝利につながるプレーをしなければいけない。頭のなかが研ぎ澄まされていきました。

 試合時間は45分×2本だったか、30分×2だったか……。ユースの選手たちにはフル出場してもらい、代表選手は10分から15分おきに入れ替わりながらプレーしました。

 試合が終わると、オシムさんはあのニヤリと音がするような笑みを浮かべて言いました。

「リカバリーでただ20分走った後にボール回しをやるよりも、同じ時間かけるならこっちのほうがいいだろう? 君たちはサッカーが大好きなんだから、ゲームをやったほうがいいだろう」

 言われた僕らがどういう顔をしたのかは、みなさんの想像にお任せします(苦笑)。

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