- #1
- #2
サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「何度も怒られました。でも…」中村憲剛の胸に深く刻まれた“オシムの言葉”とは?「日本人よりも日本の可能性を信じてくれていた」
text by
中村憲剛+戸塚啓Kengo Nakamura + Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2022/05/07 17:02
2007年6月、モンテネグロとの国際親善試合で故イビチャ・オシムさんから指示を受ける中村憲剛氏と鈴木啓太氏。名将の教えは後進に大きな影響を与えた
オシムさんの練習がキツいのは分かっているから、僕を含めた選手たちは大抵のことに驚かなくなっていましたが、この時はさすがに驚きましたね。でも、いざやってみるとキツいけど楽しいから続けたくなる。初めての体験でした。
日本人よりも日本の可能性を信じてくれていた
オシムさんの逝去に触れて、中村氏は彼の言葉や練習を改めて思い返したという。心に刻まれた言葉、記憶に深い練習や試合の景色を整理すると、オシムさんが日本サッカーに残したものが輪郭を帯びてきた。
◆◆◆
オシムさんは僕たち日本人よりも日本の可能性を信じてくれていた、と思います。日本人が世界で戦えるサッカーが見えていて、そこへどうやって持っていくのかも見えていたのでは、と。
日本人は自分を過小評価するところがあり、サッカーにおいてはどうしても「海外へ行って学ばなければ」という思考へ傾きがちです。もちろんそれも真理だと思いますが、その海外で最前線にいたオシムさんが、「日本人には可能性がある。もっと自信をもってやりなさい」と言ってくれた。これには勇気づけられました。
僕は日ごろから「何でもかんでもただ海外へ行けばいいわけじゃない」と話すことがあるのですが、その考え方はオシムさんの影響をかなり受けています。
オシムさん自身も、日々サッカーを勉強していました。日本時間の深夜にヨーロッパのサッカーを観ていて、それは代表の活動期間も変わらないルーティンだったと聞きます。そのため、オシムさんの代表のトレーニングは夜に行なわれることが多かったのです。
オシムさんと出会っていなかったら、いまの自分はなかったと思います。40歳までやっていなかったかもしれないし、引退後のキャリアも違っていたかもしれない。オシムさんに出会ったことで自分が目指すべき指導者像は、間違いなく明確になりました。指導者としての芯の部分は、オシムさんの影響を色濃く受けていると思います。
オシムさんには愛を感じました。選手一人ひとりがどうしたらより良くなるのかを、真剣に考えてくれていました。