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「オシムさんに『ブラボー!』と言ってほしくて」中村憲剛が振り返る“オシムジャパンで学んだこと”「飛躍的に伸びている実感があった」

posted2022/05/07 17:01

 
「オシムさんに『ブラボー!』と言ってほしくて」中村憲剛が振り返る“オシムジャパンで学んだこと”「飛躍的に伸びている実感があった」<Number Web> photograph by AFLO

2022年5月1日に80歳で亡くなったイビチャ・オシムさん。日本代表で同監督の薫陶を受けた中村憲剛氏が、印象的な思い出を語った

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中村憲剛+戸塚啓

中村憲剛+戸塚啓Kengo Nakamura + Kei Totsuka

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 イビチャ・オシムさんの逝去を、多くのサッカー関係者が悼んでいる。

 中村憲剛氏もそのひとりだ。インテリジェンス溢れるMFとしてプレーした彼は、プロ4年目の2006年に日本代表デビューを飾った。ドイツW杯の惨敗を受けてチームの再建に乗り出していたのが、直前までジェフ千葉を指揮していたオシムさんだった。

 日本サッカー界が生んだ知性派のタレントは、世界的な名伯楽の指導から何を感じ、何を学んだのか。川崎フロンターレの一員としてJリーグで対峙していた当時から、追悼の記憶を紐解いてもらう。(全2回の1回目/後編へ)

◆◆◆

 オシムさんが監督を務めていたジェフは、対戦するのがすごく嫌なチームでした。守備はバチバチガツガツくるし、攻撃は人が湧いて出てくるようで。試合前はすごく憂鬱でした。

 ところが、いざ始まるとめちゃくちゃ楽しいんです。

 どちらのチームも3-5-2のミラーゲームで、千葉は阿部勇樹と佐藤勇人のダブルボランチが多かったので、彼らの守備をどうやってかいくぐるか。相手の攻撃の局面では、いかにやらせないか。ボランチ同士のやり合いは楽しかったですね。

 相手の良さを消すため、リスクを抑えるために、引いて守るとかロングボールを使うといったことは、フロンターレもジェフもやらないんです。下がらずに撃ち合う。自分たちの良さをぶつけ合う。試合中はとにかく大変なんだけど、自分のなかではどの試合も名勝負になっていたと思います。

 対戦相手を悩ませ、自分たちは躍動するサッカーをジェフで作り上げたオシムさんが、日本代表の監督になる。いったいどんなチームになるんだろうと思っていたら、いきなり驚かされました。

「オシムさんの目はこっちに向いているんだ」

 自身の初陣となる2006年8月9日のトリニダード・トバゴ戦に向けて、オシムさんは18人の選手を選んだ。ジーコが率いたドイツW杯のメンバーは川口能活、三都主アレサンドロ、坪井慶介、駒野友一の4人だけで、黄金世代の中核を担う選手はひとりもいない。その代わりに、Jリーグで頭角を現わしてきたアテネ五輪世代──中村氏の世代でもある──が選ばれていた。ガンバ大阪と千葉の選手は、韓国、中国のクラブとのA3チャンピオンズカップがT&T戦の前日まで行なわれたため、このタイミングでは招集を見送られている。

 フロンターレからは、FWの我那覇和樹が選出された。

◆◆◆

 昇格2年目の06年のJ1リーグで、フロンターレは優勝争いをしていたんです。僕自身も開幕から全試合に先発して、得点やアシストを記録していたので、オシムジャパンになってメディアの皆さんから「選ばれるのでは」と言われていました。実際は10月に初めて招集されるのですが、我那覇が最初の試合に選ばれたことで「オシムさんの目はこっちに向いているんだ」と思うことができた。あれはテンションが上がりましたね。

【次ページ】 厳しくもお茶目なオシムさんの素顔

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