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野球クロスロードBACK NUMBER
大阪桐蔭“ズルい・強すぎ”の声にOBは何を思う?「何から何まで徹底した」寮生活のリアル “普通の高校生”の自由と引き換えに…
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNanae Suzuki
posted2022/05/06 11:03
大阪桐蔭はなぜ強いのか? そのヒントを探るべく、同校OBで、近江のエース・山田陽翔の兄でもある山田優太(日体大3年)に聞いた
山田の2年先輩が2017年に2度目のセンバツ制覇を果たしたこともそう。1年秋にベンチ入りを掴み取ってからは、キャプテンとして常にチームを第一に考えて行動する中川の背中に大阪桐蔭というブランドの重みを感じ、センバツからベンチ外となって競争の激しさも痛感した。その先輩たちは18年夏に史上初の2度目の春夏連覇を成し遂げ、山田はまさに黄金期の只中を経験したことになる。
監督の西谷は、よく大会を「山」と形容する。頂までの登山は険しさを極めるが、モチベーションは高い。一方で山頂からの景色を見てからの下山には、一種の虚無感が去来するものだ。いわば隙である。西谷はそのことを誰よりも恐れ、チームに釘を刺すのだが、浸透しきれないことだって当然ある。
それが、山田たちの世代だった。
逃した甲子園「うまくいきませんでした」
18年夏の踏破から、翌年のセンバツへの新たな登山――すなわち秋の大阪大会や近畿大会を戦う上での準備が万全ではなかった。大きな理由について、山田は経験不足を挙げた。
「1つ上がすごいメンバーでしたから、下級生からベンチ入りを経験できたメンバーが少なかった。僕らはチームとしてみんな仲がよかったんで、『試合を経験しているメンバーで引っ張りながら、チームをまとめていこう』とかミーティングでよく話はしていたんですけど、うまくいきませんでしたね」
秋は近畿大会準々決勝敗退。センバツ当確のラインまで「あと1勝」が足りなかった。夏も準々決勝で金光大阪に延長14回タイブレークの末に負けた。大阪桐蔭が春夏連続で甲子園の舞台に立てなかったのは、実に8年ぶり。この夏に日本一となったのは、大阪最大のライバル校であり、下級生時代から経験を積む選手が多かった履正社だった。
力不足。山田をはじめ、3年生は敗れた原因をはっきりと理解している。
しかし、当事者の自認と反省だけでは許されないのが、大阪桐蔭の宿業なのである。
8年ぶりに逃した甲子園。山間に没落したような結果に、周りは「谷間の世代」と山田たちの力を軽んじる。
大阪桐蔭なのに――。
携帯電話の使用が禁止されていたとしても、耳をふさいでも、そんな風評がつんざくように侵入してくる。