“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「僕は3浪して大学に入ったようなもの」21歳で辞めた高卒Jリーガーが“大手投資銀行の金融マン”になるまで《鹿児島城西では大迫勇也と同じ9番》
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2022/04/29 11:02
春から大手の投資銀行で働く岩元颯オリビエさん。「小さい頃から社会に貢献したいと思っていた」
当時の年齢から自分自身が技術研究者になるのは難しいと判断した岩元は、「ファイナンシャル部門はほとんどの人が大学から学ぶ領域。『この領域だったら今からでも追いつける』と思ったんです」と、卒業後は技術者をファイナンスの側面から支援するため投資銀行という新たな道を選んだ。
「4月からはカバレッジバンカーとして働いてます。ベンチャーキャピタルで投資を担当させていただいた方から、『技術領域に流れるお金や支援の蛇口をひねって欲しい』と言っていただいたことで、自分なら貢献できるのではないかと考えています。IPO(新規に株式を投資家に売り出して証券取引所に上場すること)、M&A(企業の合併買収)含めたトラックレコード(過去の実績や履歴)を作り、マーケットに対して彼らの真の価値をお伝えする必要があります。そのためにも新たなファイナンススキームの構築や、グローバルに進出するための支援に力を注ぎたいと考えています」
「根っからのFWなんで、常にゴールがないとダメなんです」と笑う岩元は、小さい頃に抱いた“社会の役に立ちたい”という想いと、両親から託された“世界に平和の風をおくる存在になってほしい”という願いを、着実に形にし始めている。
自分の価値が一時的に下がってもいい
自らの意志で道を切り拓いた岩元に、改めてアスリートのセカンドキャリアに大切なことを聞いてみた。
「昨今言われているデュアルキャリア(もう1つのキャリア形成)とか、サッカー選手のうちにいろいろやっておけという意見には懐疑的なんです。サッカー選手の時、僕は日々サッカーでいっぱいいっぱいだった。僕が思うにすべてをサッカーに注ぎ込んで、1つのことをやり切らないと変に未練が残って、いつまでも引きずって次の新たなチャレンジができない選手が増えると思います」
元サッカー選手という“貯金”に驕らず、新たな自分の価値を創出して積み上げる。岩元の生き方は、これからプロを目指す学生たち、そして今プロとしてプレーするアスリートたちにとっても、指針の1つになるかもしれない。
「引退は、次の道に進むスタート。もちろんその節目には一時的に自分の価値が落ちてしまうことはあります。でもそれは企業でも一緒で、会社がメインとなる一本のビジネスモデルを変えた時に、評価額が一時的に下がるんです。ただ、幹となるものを持っていれば、道を変えたり、ビジネスチェンジしても、また価値を上げていける。変わることで一時的に自分の価値が下がることを恐れないでほしい。軸があれば、幹があれば、それが糧となってどの道でも通用していくし、また違った自分の価値を上げることができると思っています」
サッカーの舞台は志半ばで諦めることになったが、これから岩元颯オリビエが新しい世界でどんな色の花を咲かせるか、ワクワクしている。
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