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高校サッカーPRESSBACK NUMBER
あの高校サッカー得点王は今…わずか2年でJリーガーをクビになった“その後”「中古車販売営業を10年やって、今は草サッカーが楽しい」
posted2022/01/28 12:31
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
J.LEAGUE
しかし45歳になった森崎は再びボールを蹴る日々を送っている。「1回やめましたが、やっぱりサッカーは楽しい」という元得点王に話を聞いた。(全2回の#2/#1へ)
タウンワークで見つけた「月給36万円」
かつて市船史上最高のストライカーと呼ばれた森崎嘉之は高校卒業後、プロ入りするもジェフ市原(現ジェフ千葉)を2年で戦力外に。その後はJFLや地域リーグでのプレーを経て、23歳で選手キャリアを終えると、約10年間中古車販売会社で働くなどサッカーと距離を置く生活を送っていた。
「Jリーガーって日本代表クラスまでいけば(指導者やメディアでの)仕事もあると思うんですが、途中でアウトすると本当にキツい。それまで僕は履歴書も書いたことがなかったですし。職歴にジェフ市原と書くのもサッカー選手っぽくて嫌だなと思って、“JR東日本古河電工”入社とか書いたりして(笑)。最初は10社くらい応募して、ぜんぶ落ちましたね」
そんななか、コンビニで目にしたのがタウンワーク(求人情報誌)だった。
「確か、3ページ目かな。開いたら月給36万円って書いてあって、よし、ここを受けようと。それで、たまたま受かったのが千葉県内の中古車販売会社だったんです」
晴れて地元の会社に勤務することになったが、営業時に名刺を渡せば、「なんで? どうしたの?」と反応する人は少なくなかった。当時はそれが堪らなく嫌だったと振り返る。
「自分から言うことはなかったですが、お客さんにサッカー好きの方も多くて、『市船の森崎さんですよね?』と声をかけられるのがいちばん辛かった。なぜか『2ちゃんねる』で、車屋で働いていることが叩かれていたこともありましたし。ただ、僕のことを知っていたことで車を買ってくれた方も多かった。たぶん2000台くらい売って、そのうち1000台くらいはそんな感じでしたから。だから、結果的にサッカーをやっていてよかったなって。おかげで、最後は店長になりました」
「鈴木隆行がゴールを決めて…オレは何をしているんだ」
かつて寮でともに暮らした城彰二が日本代表としてプレーした1998年フランスW杯は「興味もなかったし、ちゃんと観た記憶がない」と話す。一方で、26歳で迎えた2002年日韓W杯は、同学年で若い頃に交流もあった中田英寿、楢崎正剛、松田直樹らが躍動する姿を営業中の車内で目にしたことをはっきりと覚えている。