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「僕は3浪して大学に入ったようなもの」21歳で辞めた高卒Jリーガーが“大手投資銀行の金融マン”になるまで《鹿児島城西では大迫勇也と同じ9番》
posted2022/04/29 11:02
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
183cmのスラッとした体格にスーツがよく似合う。目の前に現れたのは、この春に法政大学を卒業したばかりの26歳の男だった。
かつてジュビロ磐田などに所属した元Jリーガーの岩元颯オリビエだ。聞くと、この4月から大手の投資銀行で働き始めたという。
「僕は3浪して大学に入ったようなもの。ようやく新卒として社会に飛び出していく段階なんです」
わずか3年でJリーグを去った元サッカー選手が、なぜ金融マンに転身できたのか。岩元のキャリアを振り返ってみたい。
大迫勇也と同じ背番号「9」
鹿児島県出身の岩元は、プロサッカー選手になることを夢見て中学進学と同時に京都サンガF.C.U-15に入った。同期には現在ブンデスリーガで活躍する奥川雅也らがおり、岩元自身も2010年の全日本ユース選手権(U-15)で得点王に輝くなど、世代を代表する選手の1人だった。
その後、京都U-18に進み、高3時には「もっとFWとして怖さを身につけたかった」と高校サッカーでのプレーを決意して地元の鹿児島城西高校に編入。そこでも巧みなテクニックとスピードを発揮してエースとして活躍。この1年間はかつての大迫勇也と同じ「9」を背負い、選手権にも出場を果たした(同大会では優勝した星稜と初戦で対戦し、PK戦の末に敗れた)。
Jクラブから関心を集める存在となった岩元は、15年に多くのストライカーを輩出してきたジュビロ磐田に加入。順調にプロの道を歩き始めたかに思われたが、ここから紆余曲折のサッカー人生を送ることになる。