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「アバラが浮くほどガリガリだった」旗揚げシリーズから50年… 藤波辰爾68歳がリングで伝えた「猪木さん」への思いとプロレス愛
posted2022/03/06 11:03
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
藤波辰爾(辰巳)を初めて見たのは50年前だった。1972年3月6日、大田区体育館で旗揚げした新日本プロレスは「旗揚げオープニングシリーズ」第8戦を3月23日に水戸市の茨城県立スポーツセンターで開催した。
当時、まだ高校生だった筆者は友人とこの試合を見に行った。もちろん、アントニオ猪木を見に行ったわけだが、初めて生で見るプロレスだった。
その第1試合に登場した藤波辰巳はアバラ骨が見えるくらい細くガリガリの体をしていた。相手は浜田広秋、後のグラン浜田だ。
カメラを持って行った筆者は、この試合を薄暗い体育館のリングサイドで撮影した。藤波のドロップキックが浜田の首元にきれいに突き刺さった。初めて撮ったプロレスの写真だった。このドロップキックは後に藤波が見せるショートレンジの上体を少し曲げたものではなく、伸び伸びとしたもので、現在の選手でいうならオカダ・カズチカのように美しかった。
70年代後半に到来した一大ドラゴンブーム
その藤波が日本のファンから注目されるのは、1978年になってからだ。メキシコに渡った藤波は「リング・フヒナミ」(jiの発音はスペイン語ではヒとなるため)のリングネームでエル・カネックらと血みどろの抗争を繰り広げ、ルチャリブレの専門誌の表紙に取り上げられるほどの人気を得ていた。
藤波は1978年1月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダをフルネルソン・スープレックス(後にドラゴンスープレックスと呼ばれるようになる)で倒し、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王者になった。『ワールドプロレスリング』を放送していたテレビ朝日は、新しい時代のスターとして藤波を押し上げる。3月に凱旋帰国した藤波は全国にドラゴンブームを巻き起こした。メキシコ仕込みのトペ・スイシーダはドラゴン・ロケットと名付けられた。