甲子園の風BACK NUMBER

警察が優勝球児に「お前たちが盗んだのか?」 夏の甲子園の優勝旗が消えた“中京商の事件”…発見前日にナゾの投書「占いでは明日見つかる」 

text by

近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

PROFILE

photograph byBUNGEISHUNJU

posted2022/02/15 11:02

警察が優勝球児に「お前たちが盗んだのか?」 夏の甲子園の優勝旗が消えた“中京商の事件”…発見前日にナゾの投書「占いでは明日見つかる」<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

68年前、1954年の夏の甲子園で優勝した愛知・中京商業で、校長室にあった優勝旗が何者かに盗難されるという事件が起こった(※写真はイメージ)

 優勝旗は無事に発見されたが、事件に振り回された人々にはさまざまな思いが残った。中京商の元エース・中山俊丈は晩年にいたっても、当時を振り返るときは苦しい表情になったという。亡くなる前年には、《警察の人から『おまえたちが持って行ったんだろ?』とか言われました。僕たちが死に物狂いで取りにいった旗なのに、盗んだりするわけがない》と語っていた(「デイリースポーツ online」2015年11月10日配信)。

 校長の梅村清明は、優勝旗が《発見されたときは本当にうれしかった。戦後、シベリアから生きて帰ってきたさいの気持ちと一脈通じるものがあった》と後年語っている(『朝日新聞』1978年7月18日付朝刊)。1936年に校長に就任した梅村は、戦時中、満州(現・中国東北部)に出征し、戦後はソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された。抑留中、強制労働で苦しい日々を送るなか、生きる希望となったのが甲子園での優勝であったという。

 中京商は戦前からの強豪校だが、梅村がシベリアから生還した時点で、夏の甲子園には1937年を最後に出場さえもできずにいた。そのため1953年春、野球部OBの瀧正男を呼ぶと、戦前のような強いチームにしてほしいと懇願して部長を任せる。翌年夏の優勝はまさに悲願達成であった。優勝旗が盗まれたのはこの直後だが、見つかったときには、梅村は命をつないだという思いであったに違いない。

 なお、初代の優勝旗は現在、高野連本部のある大阪市の中沢佐伯記念野球会館に保存され、甲子園大会期間中は同球場内の甲子園歴史館で展示されている。

関連記事

BACK 1 2 3 4
中京大中京高校
富士通
朝日新聞社

高校野球の前後の記事

ページトップ