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万引きのはじまり、だまし取られた財産、7度の逮捕… 家族との関係も壊れた原裕美子が病の公表を決意した瞬間
posted2021/04/30 06:03
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
初マラソンとなった2005年の名古屋国際女子マラソン(2012年より名古屋ウィメンズマラソンとして継承)で優勝し、同年の世界選手権でも6位入賞するなど輝かしい活躍を見せてオリンピックの有力候補とも評された原裕美子。
だが華々しい活躍の陰で、彼女は過剰な体重管理の指導から、食べ吐きを1日に何度も繰り返すほどの摂食障害に陥っていた。いつしか体の回復能力は低下し、多発する怪我から成績も伸び悩むことになる。
2010年、京セラからユニバーサルエンターテインメントに移った原は、最初の1年ほどは調子のよい競技生活を送った。だが、その後は再び怪我に苦しんだ。
ユニバーサルを離れると、チームにいたコーチの誘いを受け、同コーチの運営するランニングクラブで仕事をするようになった。
だが給料は未払い、コーチから依頼を受けての出資金も戻らないなど、それまでの競技生活で得た財産のほとんどを失うことになった。
「だまされたと分かってからは、寝ている時間以外は食べて吐いて、あるいはお店に行って盗って、でした」
原は振り返る。
食べ吐き用の食料を…万引きのはじまり
盗って――原は、食料品を万引きするようになっていた。初めて万引きをしたのは、京セラに在籍していた頃のことだ。
「2007年の中国での合宿でした。はじめは持っているお金で食べ吐き用の食料を買えるだけ買おうと思いましたが、途中で自分で使えるお金がなくなってしまったんです。でも、ホテルの近くの店に入って、いざ品物を目にしたら全部ほしくなっていて、気づいたらパンやお菓子を服の中にまで入れていました」
その後、しばらく万引きからは遠ざかっていた。しかしユニバーサル移籍後の2011年、万引きを再開するようになってしまった。
「テレビで警察に密着する番組があるじゃないですか。『万引きだなんて、そんなことする人いるんだな』と思っていたのに自分がやった。信じられなかった。さらに、はじめは気持ちのコントロールができたのが、いつのまにかコントロールできなくなった。『なんで私はこんなに気持ちが弱いんだろう、だめな人間だ』。気持ちとは反対のこと、やめたいことをやる自分をひたすら責める毎日が続きました」