甲子園の風BACK NUMBER
警察が優勝球児に「お前たちが盗んだのか?」 夏の甲子園の優勝旗が消えた“中京商の事件”…発見前日にナゾの投書「占いでは明日見つかる」
posted2022/02/15 11:02
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
BUNGEISHUNJU
昨年12月、富士通が同年元日の全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で優勝して受け取った優勝旗がその保管ケースとともに所在不明と発表し、物議を醸した。優勝旗は今年元日の大会で返還せねばならなかったが、結局それまでに見つからず、優勝したHondaには表彰式でとくに代替の旗などが授与されることはなかった。
優勝旗が行方不明になる事件は、かつて高校野球でも発生したことがある。いまから68年前、1954年の夏の甲子園で優勝した愛知・中京商業(現・中京大中京)では、その年11月、校長室に飾っていた優勝旗が何者かに盗難されるという事件が起こった。
事件が発覚したのは、地元紙・中部日本新聞(現・中日新聞)の記事によれば11月27日の昼すぎ。校長室には軟式野球部の県大会での優勝旗も飾られており、同部員が記念撮影のため自分たちの旗を取りに行ったところ、竿だけになっていた。そのため調べてみると、軟式野球部の旗は甲子園の優勝旗の竿に付け替えられ、本来そこに付いているべき旗がなくなっていることに気づく。どちらの旗も紅色だったためすぐには盗まれたことがわからなかったらしい。じつに巧妙な手口である。
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盗難発覚後、学校内部で秘密裡に調査が始まったものの、どうしても見つからず、29日になって(30日とする新聞記事もある)愛知県警昭和警察署に届け出た。同署では刑事課長自ら乗り出し、刑事30人を動員して捜査を始める。
夜間盗難説も…「重さは9.5キロ」
事件前、最後に優勝旗が確認されたのは11月21日午後。野球部が兵庫・芦屋高と練習試合を行った際、優勝旗を披露し、すぐ校長室に戻していた。その3日後、24日になって用務員が優勝旗のないことに気づいたが、職員の誰かがほかのところに保管したと思って気に留めなかったという。ここから犯行日は22日ないし23日の線に絞られた。
一般の関心も高かったのだろう、中部日本新聞は1954年12月5日付朝刊のスポーツ面で事件を大きくとりあげている。記事に付された事件現場の見取り図を見ると、校舎1階にある校長室は、廊下に向かって右側は応接室および受付と、左側は職員室と並び合い、それぞれ扉を介して通じていた。校長室には各種の優勝旗が五十数本飾られており、盗まれた優勝旗は部屋の奥に置かれた机のすぐそばに、軟式野球部の優勝旗は廊下に面した扉近くに位置した。
記事本文によれば、昼間には校長室の廊下側の扉が開いている場合もあり、受付や職員室を通らなくても出入りできた。この場合、忍び込むのは容易だが、人の出入りも多いので旗を付け替える時間的余裕があったか微妙で、また優勝旗は9.5キロと重さもあり、折り畳んでも相当かさばるため、誰にも見つからず持ち出すのは難しいと思われた。
夜間にいたっては、部屋の鍵を開けなければ入れない。推定された盗難日の翌朝の鍵には異常はなかったという。ただ、鍵がかかっていても玄人(?)の窃盗犯なら容易に開けられる戸が1ヵ所だけあり、そこを知っている者がいたのではないかとして、夜間盗難説も浮上した……と記事にはある。