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「この体のどこが悪いんだ」 長野五輪直前に胃がん発覚、壮絶な闘病生活…25歳で他界した“伝説のモーグル選手”を覚えているか?
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph bySankei Shimbun
posted2022/02/18 11:00
長野五輪直前で胃がんが見つかった森徹さん。転移が進む中で、里谷多英の金メダルを現地で見守った
徹さんが亡くなって24回目の冬。ライバルとして競い合った三浦さんは「意外と思い出すのは一緒にゲームをやっていたこととか、スキー以外のくだらない競い合い」と徹さんとの思い出を懐かしそうに語る。
競技を行う上ではライバルではあったが、「負けず嫌いで底抜けに明るく、いつも冗談ばかり言っていた」。だからこそ、徹さんがいなくなり「寂しかった」。
登山家でもある三浦さんは、2003年に世界最高峰のエベレストに登頂したが、そのとき徹さんの写真をポケットに忍ばせていたのだという。
「あいつがいるとどこかで助けてくれるんじゃないかと思って。でも、弱音を吐いたらバカにされると思っています、いつも(笑)」
7月4日の命日には毎年必ず野沢温泉を訪れる。そして時々、「あいつに恥ずかしくない生き方をしているのか」と自問する。徹さんはたまに見る、自身の“鏡”だとも。
20年以上の月日が流れ、森徹というモーグル選手がいたことを知らない世代も増えているが、徹さんが遺したものは今も兄の敏さんや三浦さん、多くの仲間によって受け継がれている。
「野沢温泉はアルペンやジャンプ、距離などスキーの伝統的な種目が盛んな地域で、当時はまだフリースタイルに関してはそこまで理解を得られていなかったかもしれません。そこで徹がフリースタイルモーグルを始めたわけですが、その後、上野雄大氏、上野修氏らも出てきています。フリースタイルな人間で自由気ままに縛られない徹が、最初の殻を破ったことが、今にもつながってきているんだと思います」(三浦さん)
中村直幹、小林潤志郎らを指導した敏さん
兄・敏さんは現在、東海大学の教授で同大学のスキー部ノルディック担当監督として学生たちの指導にあたっている。北京五輪のジャンプ男子代表に名を連ねる中村直幹や小林潤志郎らは、森さんの下、世界へ巣立ったトップ選手だ。今でも、指導する学生や選手たちに徹さんを取り上げた昔の番組を見せたり、話をすることもあるのだという。
「彼が最後まで戦い抜いた姿がなければ、私のその後の人生もありませんでした。そういった意味で徹はいろいろなメッセージを私に残し、託してくれたんだと思うんです。彼の生き方や、人に与える影響はすごく強い。壁につまずいたり、乗り越えられず苦しんでいる若者たち、そういった人々の手助けや、何かヒントになればと思い、機会があれば徹の話をしているんです。若者たちには可能性を自分自身で潰さないでほしい、可能性はたくさんあるんだよということを伝えたくて」
日本スキー界の発展のため情熱を注ぐ兄の姿を、弟は今、どんな風に見ているだろうか。
「弟に恥ずかしくない人生を歩んで、楽しんでこの人生を精一杯生きていきたいと思っています。いつか向こうで徹に会ったら一番最初にいう言葉は決めているんですよ(笑)」
その言葉は何かとたずねると、敏さんはこう答えてくれた。
「私が今生きているこの1日1日は、弟が生きたかった1日で、だからこそ毎日無駄にできないと思っています。だからその時、“人生やり切ったわ。楽しかった”と言えるように」
25年とあまりにも短すぎる人生だった。だが、森徹というモーグル選手の存在や思い出は決して色褪せてはいない。そして、これからも決して彼を忘れない――。
参考資料:『トオル、君を忘れない』(著・清水浩一、刊・ボロンテ。)