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クラブ泥酔騒動で「マスコミを恨んだこともあった」 日本人女子初の冬季金メダリスト・里谷多英が告白した“栄光と挫折”
posted2022/02/07 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Getty Images
長野の金、ソルトレイクの銅、バンクーバーでの転倒。彼女の五輪での滑りは、いつも日本中をハラハラさせた。四半世紀にわたって第一線で戦い続け、今季でスキーを脱いだ雪の女王が語る、これまでとこれから――。
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引退を決意したのは昨年末のことです。私はワールドカップより下のカテゴリーの北米の大会に出場していました。その成績がよければ年明けからのワールドカップのメンバーに復帰できると言われていたのですが、成績を残すことができなかった。
引退を考えたことはこれまでもありましたが、勘違いかもしれないけれど、「まだまだ伸びている」と自分では思っていた。でも昨年くらいから、できない、もう無理だ、と弱気になってきたんですね。なぜかは分からないけれど。昨年の春の時点で今年駄目だったらやめようと思っていましたが、北米の3戦で結果が出なかった時点で、ここから上がる道はないなと感じました。自分が本当に駄目だと思ったところでやめたんだと思う。じゃないと、また戻りたくなる気がするから。
1998年の長野五輪で、冬季では日本女子初となる金メダルに輝く。続くソルトレイクシティ五輪では3位で銅メダル。今なお、2つのメダルを持つのは彼女しかいない。五輪出場は日本女子最多タイの5回を数える。20年を超えて日本モーグル界の第一人者であった里谷多英は、今年1月18日、引退を発表し、2月23日に猪苗代のワールドカップ開催時に行なわれた引退セレモニーで、涙とともにファンに別れを告げた。
泣かないと思っていたけれど、ああいうのって、やっぱり泣きますよね。動物ものの映画を観たら泣くみたいな感じ(笑)。
自分なりにすっきりとやめたつもりでしたが、セレモニーでは、サプライズというか、お客さんの前で滑らせていただけたり、ナショナルチームのみんなに、長野五輸以来の胴上げをされて長野を思い出したり……。あそこまでいろいろやっていただけると思っていなくて、ありがたかった。
長野五輪は初めて“特別”だと感じた大会
初めてオリンピックに出たのは、高校2年生のとき、'94年のリレハンメルです。もうお祭りみたいな気分で、楽しい思い出ばかりです。荻原健司さんや原田雅彦さん、雲の上の選手の方々が近くにいて、選手にただで配られた「写ルンです」をどこに行くにも持ち歩き、いろいろな人とツーショットを撮りました。みんな嫌な顔ひとつせず撮らせてくれて、「次は一緒にメダルを獲ろうね」ってゼッケンにサインをくれる方もいた。すごく嬉しかった。
日本人選手がメダルを獲る姿を間近で見られたのは刺激になりました。自分もメダルが欲しいと思うようになったし、その後につながった大会です。
続く長野は、父を前の年に亡くして迎えた大会でした。私は幼い頃から父にスキーを教わってきたのですが、「オリンピックに出るんだぞ」といつも言われていたのを覚えています。それくらいオリンピックにこだわりがある人だったから、地元開催を前に、無念な気持ちがわかる。そのために、と言うのもあれなんですけれど、ここでしか父の気持ちを晴らしてあげることはできないという特別な思いをもって臨んでいました。そういう意味でも、オリンピックが自分にとって特別だと初めて感じた大会でした。金メダルを獲ることになった決勝の滑りは、記憶が真っ白、今も思い出せないままです。