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箱根駅伝ブレーキから2カ月引きこもり…青学大竹石尚人が“勝利至上主義”から解放された瞬間「とても幸せで有難いことだったのに」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2022/02/04 11:02
2度目の箱根駅伝でブレーキを経験した竹石さん。「箱根は本当にすごい。でも、怖いところですよ」と当時を振り返る
ところがいざスタートすると体が動かない。焦る一方で、駒大、国学大など後続には次々と追い抜かれていく。結果、青学は6位でフィニッシュ、竹石さんは個人で区間13位に終わった。この時点で、往路トップの東洋大に5分30秒もの差をつけられ、5連覇はかなり厳しい状況だった。SNSでは往路終了直後から「竹石、ブレーキ」がトレンドになり、ネット上は様々な意見が溢れていた。
「箱根駅伝という1番の大舞台でブレーキになって、チームの連覇を止めてしまった。走り終わった後は、スマホのニュースやSNSで大変なことになっているんだろうなって思ったので怖くて見れなかったです。チームに対する申し訳なさでいっぱいでした。
しばらく経って外食しようと思ってもマスクなしでは外には出れませんでした。気にし過ぎかもしれないですが『見られてるんじゃないか?』という被害妄想が頭にあって。当時はとにかく、全国民の前でやらかしてしまった、醜態をさらしてしまった、ぐらいに思っていました。結局2カ月くらい寮に引きこもっていましたね……。あの時の感覚は今でも忘れられません」
竹石さんを救った“1週間後の登り練習”
SNSでの誹謗中傷や自己嫌悪に落ち込む中、竹石さんを救ったのは周囲の人やチームメイトだった。先輩たちは「竹石、気にするな」と声をかけてくれた。今年青学大の主将で、当時8区を走った飯田貴之は、『ラスト、下りでの走り、しびれました!』とホワイドボードにメッセージを残してくれていた。
「これは本当に凄いなって思うのですが、優勝を逃しても原監督はすぐに前を向いているんですよね。だから失敗したことをネチネチ怒ったりはしない。箱根が終わって1週間後ぐらいにもう1回登りの練習に行かされて『今が一番下だけど、ここからは上に上がっていくしかないぞ』と、気持ちを切り替えさせてくれました。
あと、地元大分の先生からは生徒のメッセージ入りの色紙が送られてきて、勇気づけられましたし、寮の同部屋に飯田君がいてくれたのも大きかったですね。一人で塞ぎこむことがなかったので、本当に助かりました」
最後の年に“エントリー外”…監督に伝えた「もう1年」
いろんな人の支えで前を向き直して迎えた最終学年。捲土重来を期したが、箱根駅伝の前に故障してしまう。大4の12月10日、箱根駅伝のエントリー発表の前日に自ら本調子ではないことを原監督に打ち明け、箱根駅伝のメンバー登録から外れた。両親に留年の相談をした上で、原監督に「もう1年」の決意を伝えた。