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箱根駅伝ブレーキから2カ月引きこもり…青学大竹石尚人が“勝利至上主義”から解放された瞬間「とても幸せで有難いことだったのに」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byNanae Suzuki

posted2022/02/04 11:02

箱根駅伝ブレーキから2カ月引きこもり…青学大竹石尚人が“勝利至上主義”から解放された瞬間「とても幸せで有難いことだったのに」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

2度目の箱根駅伝でブレーキを経験した竹石さん。「箱根は本当にすごい。でも、怖いところですよ」と当時を振り返る

 3年時の悔しい思いを残したまま終われない。走ることでしか、前には進めない。

 この頃、竹石さんの心にあったのは、「リベンジ」という自分の悔しさを晴らすために走りたいということだけだった。そんな竹石さんの心を変えたのは、同期の仲間の言葉だった。鈴木塁人、吉田祐也、中村友哉ら同期の4年生を送る会が開かれた時のことだ。

結果ばかりを意識していた自分に気がついた瞬間

「同期の中村君は4年目で初めて箱根駅伝を走っているんですけど、この時、『3年目竹石がブレーキしてしまった時に、同学年として声をかけられなかったのがすごく悔しかった』と言い出して。じゃあなぜ声がかけられなかったかというと『自分は駅伝を走れていないから説得力とかもない』からだと。でも『だからこそ、この最後の1年頑張ってきた』と振り返ったんです。

 この話を聞いたときに、他に走れないメンバーもいる中で私が箱根を走れたことはそれ自体とても幸せでありがたいことだったのに、結果ばかり意識して、仲間や周囲への感謝の気持ちがなかったと気づかされたんです。自分のためではなく、常に周囲への感謝の心を忘れない。それが大学5年間で学んだ一番大きなことだったと思います」

再びの悪夢「これを親が見たら、どう思うんだろうって…」

 ラスト1年のシーズン、故障のためほとんど走れなかった時期もあった。留年して残ったのに怪我してチームに迷惑をかけているだけじゃないかと自問自答した。だが、夏以降に調子を取り戻し、部内選考を兼ねた山登りのトライアルでは1番になり、年末には最終的に5区出走を言い渡された。箱根当日は睡眠も取れて、体調は万全だった。

 しかし、悪夢は再び起きてしまう。

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