箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝ブレーキから2カ月引きこもり…青学大竹石尚人が“勝利至上主義”から解放された瞬間「とても幸せで有難いことだったのに」
posted2022/02/04 11:02
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Nanae Suzuki
近年、分厚い選手層が話題になる同校で、1年前に5年生で重要区間の山登り5区を走ったのが竹石尚人さん(24)である。総合優勝、2度のブレーキと人生最大の喜びと絶望をすべて経験したという強烈な5年間について語ってくれた。(全3回の1回目/#2、#3に続く)
青学大2年から3年の箱根駅伝まで、竹石尚人さんは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
出雲駅伝のメンバーに2年生で唯一選ばれ、駅伝デビューとなった全日本大学駅伝では6区を走り、順位を4位から3位に押し上げた。続く箱根駅伝では重要区間の5区を任され、区間5位で優勝に貢献した。あと2年は「山は竹石がいるから大丈夫」と言われる存在にまでなった。
「1年目は怪我が多くてなかなか成長できずに、同期にも『あれ、竹石ってどうなってたっけ?』といじられる側だったんです(笑)。でも、2年の夏からいい流れに乗れて、初めて出雲駅伝のメンバー入りができたんです。その時、クラスメートから『おめでとう、頑張れ』とメッセージをもらったのが一番感動しましたね。
その後、全日本を走りましたが、やっぱりはじめての箱根駅伝が印象深いですね。箱根って凄くて5区を走ったことによって本当に多くの人に認知されて、街でも声をかけてもらえるまでになりました。この時の箱根は自分の人生のターニングポイントの一つです」
「『5区を走って、勝つのが当たり前』という気持ち」
3年生になると本格的にチームの主力になり、出雲駅伝ではアンカーを任され、チームを優勝に導いた。全日本大学駅伝も制し、青学大はその年の箱根駅伝で“5連覇で3冠”に挑むことになる。
「箱根駅伝って一度走ると、良くも悪くも“欲”が出てくるんです。前年の箱根はもちろん、出雲駅伝も優勝、全日本大学駅伝も優勝していて、3年目の箱根前には、自分の中に勝利至上主義というか『自分は5区を走って、勝つのが当たり前』という気持ちが芽生えていたように思います。そんな中で走った箱根駅伝で、大きな挫折を経験しました」
大3年、2年目の5区で悪夢「大舞台でブレーキになって」
竹石さんは2年連続の5区を任され、原晋監督も「自信を持って送り出せる」と絶大な信頼を置いていた。