箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝ブレーキから2カ月引きこもり…青学大竹石尚人が“勝利至上主義”から解放された瞬間「とても幸せで有難いことだったのに」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2022/02/04 11:02
2度目の箱根駅伝でブレーキを経験した竹石さん。「箱根は本当にすごい。でも、怖いところですよ」と当時を振り返る
走り始めて最初は調子良く感じた。だが、10キロで、もう体が動かなくなった。17キロの下りでは足がつり、ついに立ち止まった。
「走っている時はとにかく無我夢中だったんですけど、あとで止まった時の映像を見て、うわって思いましたね。これを親が見たら、どう思うんだろうって……。自分が親の立場だったら、子どもが苦しむ姿って絶対見たくない。でも、両親はそういうそぶりも一度も見せなかった。
大3でブレーキした時、報告会で会ったときはたった一言『ご飯、しっかり食べてね』と言い残して帰って行ったんです。その姿は、一生忘れられません。大5の時は、帰宅した際に『お帰り』と優しく迎えてくれました。両親には、支えてくれてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです」
レースが終わり、竹石さんは往路のメンバーとともに大手町に駆け付けた。その表情は、一切の感情を押し殺しているかのように「無」だった。
「それが全部あって今の私なので後悔はないです」
「最後はみんなのためにいい走りをしたかったです。ですが、1年間準備をしてスタートラインに立てた時に改めて周囲の方々のおかげで充実した時間を過ごせたと感じた瞬間でした。前向きな気持ちで競技生活を終えることが出来た。私が箱根で学んだのはそういう考え方だったかもしれません」
今では吹っ切れたように当時を明るく振り返る竹石さんだが、陸上に賭けた5年間、そして箱根駅伝とは、どういうものだったのだろうか。
「工業高校の出身なので高卒で就職する道もありました。それでも箱根駅伝という目標に向かってあえて厳しい大学進学という道を選んでこの5年間があったからこそ得たものはすごく大きかった。本当に色んなことを経験しましたけど、それが全部あって今の私なので後悔はないです」
そして、ポツリと言った。
「箱根は本当にすごい。でも、怖いところですよ」
その声は、天国と地獄を味わった人しか分からない深みと重さがあった。
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