箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
大迫傑と同期の箱根ランナーが、大学時代出会った妻とともに長野で農業をしているワケ「大迫の存在が影響してるんです」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byAFLO SPORT
posted2022/01/02 11:05
第88回箱根駅伝を走った頃の志方文典(右)。大迫傑と同期のランナーはなぜ今、農業に従事しているのだろうか
ぬけぬけ病は陸上特有で、はっきりした原因、症状が特定できず、まったく個人的な病気、ケガなのだという。
「左足で地面を上手く蹴れなかった。リズムも合わなくて自覚症状もはっきりつかめない。速かった人が急に走れなくなると、実は“ぬけぬけ”だったというケースがある。監督に言うと、治らないものを認めてしまうことになるので、言わなかった。自分でも弱みをさらすことになる。どうしたらいいかわからない感じでした」
雪辱を誓った社会人でも「中学の時の方が速かったかもしれない」
それでも2年の箱根前の集中練習では運よく症状が出なかった。ただ、“ぬけぬけ”は本番で出やすいのだそうだ。
「箱根の本番でも出そうな悪い予感があった。呼吸が苦しいわけじゃなくて足が言うことを聞いてくれない。足への無理を抑えてペースを落としました」
8区で区間2位。総合4位の責任を果たした。
ただ翌年、3年では7区11位と順位を下げ、4年では集中練習でついていけず、メンバー入りを逃した。
「1日でも早く、自分の走りを取り戻したい」
社会人でも屈辱を晴らす道を探した。西脇工、早大の先輩・八木がいた旭化成に入社した。
練習拠点の宮崎に“移動”したものの、好転しない。具体的な目標が定められておらず、募るのは不安ばかり。そして下の代に村山謙太・紘太兄弟、市田孝・宏兄弟が入部して追い立てられた。結局、レースはまったく出られなかった。
「中学の時の方が速かったかもしれないです。チーム内の成績は大きく離されて、ビリでした。泣きましたよ、みじめでした」
コーチに相談しても、救われるような言葉は返ってこない。強いチームだったので、そんな選手をかまってる余裕がない。寮でも1人になると考えてしまう。
「寝るときはだいたい、考えてしまう。寝付けなかった」
2年目の10月の合宿で走れなくて、気持ちが保てず、コーチに辞めますと告げた。八木、宗猛総監督は励まし、チームに残る案を考えてくれたが、試合に出られなくて、結果がないことが全てだった。
結婚を機に芽生えた「自分の力で生きてみたい」という感情
2016年3月に退部してからは、社業に専念した。東京の本社に戻ると物流関連の配属に。生産と販売の数字を見て、在庫管理する仕事に従事した。
私生活では早大のスキー部の後輩、希美(28歳)さんと2017年6月に籍を入れた。希美さんとは学生時代から付き合ったり距離を置いたりしてきたが、まさしく結婚が転機になる。
希美さんは野辺山の生まれ。生家は祖父の代から野菜を作る農家。大学卒業後、得意の英語を生かして海外で通訳をしたりしたものの、結婚で派遣の仕事につくことになった。
そんな中で、将来の生き方をどうするか二人で話し合った。志方本人は会社員として思うところがあるタイミングでもあった。