水沼貴史のNice Middle!BACK NUMBER
「上手い選手と出会える大会」「ワーキャー言われましたよ(笑)」水沼貴史が“選手権こそ原点”と語る理由《高1で全国制覇》
posted2021/12/27 17:06
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph by
Shinichi Yamada/AFLO
今年は第100回という節目の大会とあって、選手や指導者の皆さんも気合いが入っているでしょう。それにしても、“一世紀”も続いているということに改めて驚きを感じます。
高校サッカー選手権は多くのバックアップのおかげで魅力ある大会に成長してきました。素晴らしいスタジアム、お茶の間に定着したテレビ中継に、スポンサーさんの支援……関係者の尽力や苦労があったからこそ、今も高校生たちの「夢の舞台」であり続けることができている。選手たちには、先人から繋いでもらったものを感じながら、思う存分サッカーを楽しんで欲しいなと思います。
クライフのW杯より、努力次第で手が届きそうな“目標”
私が「選手権」を意識したのは中学生の頃。もう半世紀以上も前のことですが、大観衆の中でプレーする高校生をテレビ中継で見ることができたのはとても大きかったです(※日本テレビの中継が始まったのは第49回大会から。その翌年度に民間テレビ放送局も参加し、地方予選の放映も始まった)。
中学2年の時に1974年の西ドイツW杯決勝・オランダvs西ドイツをテレビで見て、確かにクライフやゲルト・ミュラーらには衝撃を受けました。でもそれは、どこか遠い世界の話でしかなかったんです。ただ、選手権は自分もこのピッチに立ちたい、立てると思わせてくれた。
情報が限られた時代において、いちばん身近で、努力次第で手が届きそうな“目標”。この思いは今の高校生たちも同じだと思いますが、当時はプロリーグもない時代ですから、ほとんどのサッカー少年の憧れだったのではと思います。
浦和南受験を選択した理由
よく覚えているのは51回大会(72年度)で浦和市立の清水秀彦さんが決めたスライディングシュート。地元の高校が優勝したことで選手権に出たいと練習に打ち込みました。浦和南へ進学するきっかけになったのは、現在の日本サッカー協会会長・田嶋幸三さんが活躍した浦和南vs静岡工の決勝(第54回大会/75年度)を見たこと。あのヘディングシュートを見て、浦和南でサッカーをやるんだと強い決意が固まりました。
当時、私が住んでいた埼玉県は、公立高校が強かった時代。浦和市立、浦和南、浦和西……いずれも全国レベル。でも公立校ですから当然、推薦枠や特待枠はない。ここでサッカーをやりたいと思ったら、受験して入学するしか手段がなかった。私学高校から推薦の話もあったのですが、私たちにとってテレビを通して抱いた思いは、とても大きなモチベーションになっていたのです。