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「上手い選手と出会える大会」「ワーキャー言われましたよ(笑)」水沼貴史が“選手権こそ原点”と語る理由《高1で全国制覇》
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph byShinichi Yamada/AFLO
posted2021/12/27 17:06
高校サッカー選手権に出場した当時の浦和南・水沼貴史
高校1年で出場した第55回大会(1976年度)は、首都圏開催になって初めての大会でした。開幕前からとても注目されていましたし、国立競技場で戦った静岡学園との決勝戦(5-4)では、大観衆の中でサッカーができた。1年生のうちから大舞台に立てたことは、その後のサッカーキャリアを進んでいく上で大きな自信になりましたね。
多くの人にサッカーを見てもらって、喜んでもらって、しかもテレビで放送されて……大会が終わった後は、そりゃワーキャー、ワーキャー言われましたよ(笑)。担任の先生から「ファンレターが届いているから持って帰れ」と言われたり、練習にも女の子たちがこそっと見にきていたり。今の時代もそういうのはあるんでしょうか? ある意味いい時代だったかもしれません(笑)。
選手権は上手い選手と出会える貴重な場だった
インターハイもそうですが、私にとって選手権は「上手い選手と出会える」貴重な大会でもあったような気がします。
現在では世界中の“お手本”をすぐに目にすることができますが、記者の人から情報をもらうことはあっても、実際に対戦しないと上手い選手の凄さを味わえなかった。上級生になると顔見知りも増えましたが、1年生の時は本当に全くわからなかったですから。
だから静岡学園のドリブルを今でも鮮明に覚えているのは、試合中に「すごい」と感じながらサッカーを楽しんでいたからだと思います。見たこともない選手と対戦するって、結構面白いんですよ。
衝撃を受けた選手ならたくさんいますよ。選手権から少し話がそれますが、高1~2ぐらいの時に全国9地域に分けた選抜合宿に呼ばれた時のこと。後のワールドユースでキャプテンを務めた尾崎加寿夫さんと一緒にプレーをしました。立ち振る舞いから何から何まで衝撃の連続。同じ関東地域にもこんなすごい選手がいるんだと驚いた記憶があります。
それこそユース時代から風間八宏、佐々木博和という天才たちと一緒にサッカーをやっていたことも大きかったですね。「どうしてそんなパスやドリブルができるの?」ってずっと思っていました。
上を目指す最初のステップが高校サッカーであり、選手権だった
浦和南で指導してもらった松本暁司先生との出会いもそう。今は世界中のサッカーを知ることができますが、当時は教えてもらっているサッカーしか知らない。それでも松本先生から「サッカーは予測だ」と口酸っぱく言われたことで、考える習慣が身につけられた。「ダイレクト、ダイレクト」といつもワンタッチプレーを求められたので、素早い判断力が養われ、それを叶えるためには技術が必要だということがわかった。だから徹底的にテクニックを磨くことができました。
高校サッカーで学んだことは、プロになってからも「なるほどな」と納得させられることが多かったですね。