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なぜサッカー界には“新庄剛志のような監督”がいない? 野球との違いと指導者育成の問題点「カズさんやゴンさんが監督になっても…」
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph byJIJI PRESS
posted2021/12/01 17:07
11月30日のファンフェスティバルにて、新庄剛志は純白のランボルギーニ・カウンタックで札幌ドームに登場。サッカー界ではなかなか想像できない光景だ
あらためて言うまでもなく、サッカーにおいて監督は非常に重要なポストであり、好結果を残すためにはさまざまな資質が求められます。だからこそ、代表歴の有無によるバイアスや、縁故採用のような人事はあってはならない。人事権を持つ方々には、今後の日本サッカーのために「既得権益を分配する」という意識を持ってほしいと思います。
“叩き上げ”に限らず、代表クラスの有名選手にも指導者として期待している人はいます。たとえば昨シーズンに引退した中村憲剛さんや、ジュビロ磐田の遠藤保仁選手は、プレーのビジョンや豊富な経験、現代サッカーへの理解度の高さなど、監督として成功する要素を兼ね備えている。グアルディオラやディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリー)をはじめ、現役時代に中盤でプレーしていた選手が名監督になる例が多いという世界的な傾向も、彼らの成功に期待したい理由のひとつです。
また、このところ若くして海外でコーチとしての経験を積み、ライセンスの取得を目指す指導者も増えてきています。選手だけでなく、最先端のメソッドを学んでいる指導者の“海外組”をうまく登用できれば、間違いなく全体のレベルは上がるはずです。
「カリスマ」は作れるものではない
どのジャンルでもそうだと思いますが、強烈な個性や人間的な魅力を持つカリスマ的な指導者というのは、作ろうと思って作れるものではありません。健全な競争を勝ち抜いて目覚ましい成果を残せば、自然とそうなるものだと思います。それは必ずしも日本代表の元スター選手でなくてもいい。たとえばイビチャ・オシムさんの含蓄ある言葉の数々がサッカー界を超えて話題になったのも、やはり監督としてそれだけの実績を残した方だからでしょう。
プロ野球界の“名監督”と呼ばれる人にしても、広岡達朗さんや野村克也さん、森祇晶さんなどは、かつての「ON」に比べれば選手としては地味な存在だったはずです。そもそも新庄さんほど華のある存在は野球界にもなかなかいないでしょうし、間違いなく作ろうと思って作れるものではない(笑)。それでも、規格外の個性を許容するだけでなく、思い切って監督にまで据えてしまうところが、エンターテイメントとしての野球の懐の深さなのかもしれませんね。
(構成・曹宇鉉)
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