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バレーボールPRESSBACK NUMBER
「ほんまは同じバレーをやってほしくなかった」高橋藍の母が明かす“反抗期ナシ”の少年時代…「藍は生まれた時からライバル(兄)がいましたから」
posted2024/04/19 11:01
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Takahisa Hirano
年子の育児は壮絶だった。しかも、2人とも男児だ。
「塁と藍、上は早生まれだから学年は2つ違いですけど、ほぼ間が空いていないんですよ。気づいたら2人授かって、どうやって育てていたのか覚えていない。とにかく大変でした」
高橋藍の母・小百合さんは、息子2人と、藍の3歳下で妹の莉々(りり)さんを含めた三人兄妹の子育てをこう振り返る。
藍は18歳で日本代表に選出され、19歳で東京五輪に出場した。日本体育大学在学中にイタリアに渡って3シーズンプレー。今春、大学を卒業した。兄の塁もバレーボール選手として活躍。今季サントリーサンバーズのⅤリーグで優勝に貢献し、リリーフサーバーとして光るプレーを見せた。
今でこそ、穏やかにあの時間を振り返られる。藍がプレーするイタリアに観光を兼ねて1カ月近く滞在する余裕もできた。
だが、小百合さんが20代の頃は、仕事をこなしながら子育てに奔走する毎日だった。大げさではなく「(当時の)記憶がない」と言うのも当然だった。
「藍には生まれた瞬間からライバルがいた」
「繊細で音に敏感だった塁はとにかく手のかかる子やったんです。夜も寝ないし、寝てもすぐ起きる。朝5時には玄関に立って『遊びに行きたい』って。え、まだ夜やし、と言いながら寝かしつけていました。藍も夜はあまり寝ませんでしたが、二番目だったせいか、(兄よりは)手がかからない子でした」
藍は小さい頃から要領が良く、身体能力も抜群だった。公園でキャッチボールをすれば、幼稚園児が投げる距離を遥かに超えた遠投を見せ、サッカーをやらせれば華麗なドリブルで自ら運んでゴールも決める。前転や鉄棒の逆上がり、と何でも兄より先にできるのが藍だった。
何をやらせても、それなりの選手になるのではないか。決して親バカではなく、そう考えても不思議ではないほど能力の高さは目立っていた。ただ、藍自身が何かを「やりたい」と言い出すことはなかった。
「藍は根っからの面倒くさがりなんです(笑)。新しいことを始めることもめんどくさいし、やってみて、できないところを人に見られるのが嫌。特に藍は生まれた瞬間からライバル(兄)がいましたから。相当な負けず嫌いでした」