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現代の藤井聡太らの対局につながる“ライブ感”がスゴい…大山康晴と中原誠が土俵でタイトルを争った46年前「将棋の日」ウラ話
posted2021/11/17 06:00
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
Noboru Tamaru
徳川家康は天下分け目の関ヶ原の戦いを制すると、江戸幕府を開いて初代将軍に就いた。1612(慶長17)年には「将棋所」(「碁所」も)を設立し、将棋の棋士たちに扶持を与えた。
家康公が将棋や囲碁を奨励したのは、戦争のない平和な世の中にしたい、という思いがあったからだという。
こうして棋士は、一介の将棋指しから士分に取り立てられ、大橋家、伊藤家などの将棋の家元が生まれた。その中から、初代・大橋宗桂が一世名人に就いた。
なお、江戸時代初期の頃は、名人や棋士の呼称はなかった。名人は「上手(じょうず)」、棋士は「将棋指し」と呼ばれた。
家元の棋士たちは、江戸城に参上して将軍や重臣らの御前で将棋の対局を披露した。世にいう「御城将棋」が恒例行事になっていた。八代将軍・徳川吉宗の治世からは、その式日が11月17日に定められた。
国技館に前代未聞の8000人集結
日本将棋連盟はそうした故事にちなんで、1975(昭和50)年に11月17日を「将棋の日」に定めた。
75年11月17日。将棋連盟は第1回将棋の日の祭典を東京・台東区の蔵前国技館で開催した。当時は大相撲の本場所が開かれていた会場で、将棋イベントが行われたのは初めてだった。
当日は青く澄みきった秋晴れとなり、午前中から国技館の周りに長蛇の列ができた。開会時刻の午後3時には、館内は8000人もの将棋ファンで埋め尽くされた。入場無料とはいえ平日の午後に、それだけの人が集まったのは、将棋界で前代未聞のことだった。
表題の写真は、中央の土俵上で行われた将棋の対局を観衆が取り囲んだ光景。実に壮観である。左の向正面の奥には、かなり大型の盤が設置された。
将棋好きの講談師・神田山陽が棋士を紹介
第1部は記念式典。将棋連盟会長の塚田正夫九段、木村義雄十四世名人の挨拶、来賓の祝辞、中原誠王位の就位式などが土俵上で行われた。
写真は、将棋を愛好した講談師の二代目・神田山陽さん(右端)が、名人経験者と九段の棋士を紹介した光景。
左から、内藤國雄九段、加藤一二三・九段、二上達也九段、塚田九段、大野源一九段、大山康晴棋聖、中原名人である(※升田幸三九段は欠席、丸田祐三九段は後刻に出席)。
手前に見える人たちは、土俵のすぐ下の「砂かぶり」に座っている。大相撲の本場所では、特別会員の席である。