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現代の藤井聡太らの対局につながる“ライブ感”がスゴい…大山康晴と中原誠が土俵でタイトルを争った46年前「将棋の日」ウラ話 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2021/11/17 06:00

現代の藤井聡太らの対局につながる“ライブ感”がスゴい…大山康晴と中原誠が土俵でタイトルを争った46年前「将棋の日」ウラ話<Number Web> photograph by Noboru Tamaru

蔵前国技館で行われた、第1回将棋の日の祭典でのタイトル戦の対局

 両対局者は、本来は長考したい序盤の分かれ目だったと思うが、観客へのサービスもあって短時間で指したようだ。

 初めて尽くしだった第1回将棋の日の祭典は、午後8時まで行われ、大成功に終わった。1週間後には、NHK教育テレビで当日の模様が特別番組として放送された。

裏方として働いた棋士・芹沢八段

 実は、将棋の日の祭典の開催に当たり、企画立案、NHKとの折衝など、裏方として働いた棋士がいた。将棋連盟で広報を担当していた芹沢博文八段だった。

 芹沢は、個人的に親しかったあるメディアの将棋記者が、以前に運動部に所属して日本相撲協会と縁があったことから、その記者を通じて国技館の使用許可を掛け合った。当初は難航したようだが、将棋好きの親方たちの理解もあって、相撲協会から許可を得ることができた。

 日本の伝統文化である将棋と相撲には、何かと共通点が多い。棋界と角界、棋士と力士、名人と横綱、順位戦と番付、指し手と差し手、寄せと寄り切りなど、用語や制度も似ている。

 それに着目したのかどうかはわからないが、大相撲の殿堂である国技館の土俵上で将棋の対局を実現させたのは、後年にタレントとして多彩に活躍した芹沢ならではの発想といえよう。

タイトル戦を生で見られるという感動

 私こと田丸(当時五段・25歳)は、取材と撮影で館内を見て回った。観客が食い入るように見ていた様子が印象的だった。昔はタイトル戦の公開対局そのものが異例で、翌朝の新聞でしか棋譜と結果を知りえなかった。わずか40分間とはいえ、観客はタイトル戦の対局を生で見て感動したという。

 そして現代では、ネット放送局である「ABEMA」の中継などで、タイトル戦の対局をリアルタイムで見ることができる。

 将棋の日イベントはその後、毎年の公開行事として現在も全国各地の会場で行われている。一流棋士の記念対局で、観客が対局者の指し手を予想する三択形式の「次の一手名人戦」は、恒例企画としてすっかり定着している。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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