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藤井聡太19歳と「10代の武豊」の天才性、世代交代… 奨励会にいた競馬記者が感じる共通点+《数少ない難関記録》とは

posted2021/11/17 11:03

 
藤井聡太19歳と「10代の武豊」の天才性、世代交代… 奨励会にいた競馬記者が感じる共通点+《数少ない難関記録》とは<Number Web> photograph by 日本将棋連盟

武豊と藤井聡太。若き天才がその業界の勢力図を変える……ということは往々にして起こる

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片山良三

片山良三Ryozo Katayama

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日本将棋連盟

藤井聡太竜王(王位・叡王・棋聖と四冠)11月16日の順位戦で松尾歩八段に89手で勝利し、新竜王となって初の公式戦対局で白星を挙げた。かつて奨励会に在籍経験のある競馬ライターに、“名手・武豊”の10代を引き合いにしつつ、藤井の凄さに迫ってもらった。

 世代交代は必ず起きることなのだが、あまりにも突然やってくるそれは、特に当事者にとってはなかなか受け入れられるものではないのだろう。

 競馬の世界なら、武豊騎手の出現が地殻変動級の出来事だった。87年3月に17歳11カ月でデビューするや、当時の新記録である69勝をあげて新人王に。そして翌88年には113勝をあげて、関西1位に一気に台頭したのだ。

 その88年、最終盤まで先頭を走っていたのが、初のリーディングを目前としていた当時35歳の南井克巳騎手(現調教師)だったが、新人の鋭い追い上げに顔を紅潮させ、「負けられないよ。今年だけは絶対に譲れない」と、歯を食いしばって耐えていた姿が忘れられない。

 結果は113勝対110勝。遅咲きの南井が死に物狂いでキャリアハイの勝ち星を積み上げたというのに、武豊という天才にいきなり丸呑みにされたのがあの年だった。

 のちにナリタブライアンという名馬と出会うなど、充実した騎手生活を送った南井だったが、リーディングジョッキーの座にはついに就くことができなかった。武豊が、そこから09年までの21年間、ケガの影響で65勝にとどまった01年を除いて、20回もリーディングの座に居座ったからだ。

藤井のレーティング「2000オーバー」という異次元の高み

 将棋界ならご存じ藤井聡太の出現が、核分裂の発見にも値する大エポックになった。史上最年少棋士誕生の話題から僅か5年あまり。棋界最高位の竜王を手中に収めたことで、全棋士中の席次第1位に軽々と登り詰めてなお19歳なのだから、蹴落とされたトップ棋士連の戸惑いはどれほどだろうか。

 以前にもご紹介した「将棋連盟 棋士別成績一覧」が計算したレーティングによると、藤井聡太の数値は四冠達成の時点で2090。これは03年から始まった同サイトにおける最高値だ。過去に2000をオーバーしたのは渡辺明、羽生善治のみ。遡って考えても、七冠独占時代の羽生が超えていたはずと推測されるのみで、近代ではこの3人だけが経験した別次元の高みなのだ。

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