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〈全日本優勝〉駒大エース田澤廉が明かす“知られざる苦悩”「主将になってからここまで、色々ありましたから」
posted2021/11/10 11:04
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
JIJI PRESS
「髪の毛切ったんで」
頭に手をやり、笑みを浮かべる表情には、余裕があった。
この少し前、全日本大学駅伝でアンカーの花尾恭輔(2年)が青山学院大学を振り切ってトップでフィニッシュ。駒澤大学が2年連続で全日本大学駅伝を制覇したのだ。
駒澤大の主将として
田澤廉(3年)は名古屋市内に戻るバスの中で、そのシーンを見ていた。
「いやぁ優勝はめちゃくちゃ嬉しいですよ」
田澤は、そう言って表情を崩した。
その笑顔には常に優勝候補に挙げられる駒澤大の主将として、ようやく結果を出した深い安堵感と達成感が垣間見えた。そして、こう続けた。
「主将になってからここまで、色々ありましたから」
1月3日、箱根駅伝が終わると、各チームはすぐに新体制でスタートする。
新3年生ながら主将になった田澤も動き出したが、すぐに大きな事件が生じた。チームは箱根優勝とは異なる視線にさらされ、その後も主力選手が退部するなど部内は揺れた。
その時、佃康平(4年)は、少しでも田澤の力になればと動いたという。
「田澤には走りに集中してほしかったので、事件が起きた時も力になれたらと思っていました。その時は下級生の動揺が大きいなと感じたので、心配しないように話をしましたね。自分たちは3年の時から下級生と心を開いて話ができていたので、あの事件で部内が揺らぐことはなかったです」
田澤からすれば、いきなりこれか、と思うこともあっただろうが、その悪夢を振り払うかのようにチームを先頭で引っ張った。練習の際、田澤チーム、Aチーム、Bチームに分かれたが、Bチームは昨年のAチームレベルの練習をこなすほどになった。
チームメイトが明かす「田澤キャプテン」とは
鈴木芽吹(2年)は、「田澤主将」でチームに力がついてきたのを感じている。
「田澤さんがキャプテンになって、チーム全体のレベルと基準が上りました。特に田澤さんのチームは本当にレベルが高くて、ポイント練習では余裕がないくらいでした」
その成果として、選手たちは続々と自己ベストを更新。鈴木はホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会の5000mでは13分27秒83で自己ベストを更新し、田澤を悔しがらせたほどだ。唐澤拓海(2年)は関東インカレ2部5000mと10000mで日本人トップの3位に入った。部内は5000mを13分台で走る選手が17名になり、青学大に次いでタイムを持つチームに成長した。
練習時における田澤の姿勢にも変化が見られた。