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新庄剛志は森本稀哲と稲葉篤紀いわく「気遣いの人」? 90~00年代のカリスマ監督、現代の「引く」監督像とも違う“期待感”とは
text by
花田雪Kiyomu Hanada
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/11/03 11:03
日本ハム時代、数々のパフォーマンスで楽しませた新庄剛志。監督としてどのようなスタンスを取るのか
当時すでに47歳。野球から13年間遠ざかっていた男の「現役復帰宣言」には冷ややかな目も向けられたが、約1年後の12球団合同トライアウトに参加。獲得する球団こそ現れなかったが、現役時代と変わらないはつらつとしたプレーで、第4打席にはヒットも放ってみせた。
現役復帰を断念したあとも、球界OBや野球YouTuberのチャンネルにゲスト出演するなど、あきらかに“新庄氏と野球”の距離は縮まっていった。
「プロ野球の監督像」とかけ離れた経歴とキャラ
本人がメディアで「プロ野球の監督をやってみたい」と発言することもあった。ただ、それでもまだ、ほとんどの人はこれを新庄流のジョークと捉えていたはずだ。
なぜなら、彼の経歴やキャラクターが「プロ野球の監督像」とあまりにもかけ離れていたから。
指導者経験ゼロ、評論家活動ゼロ。そして何より、黙っていても自然とスポットライトを浴びてしまう、特異なスター性。みんな心のどこかで、「新庄には指導者なんて無理だろう」「やったら面白そうだけど、実際にはありえないこと」と決めつけていた。
だから、新庄氏の監督就任報道があっても、ネガティブな意見がほとんど出ていないことに少しだけ驚きを感じている。もう少し、「賛否両論」が巻き起こることを予想していたからだ。
いざ監督に就任してチームの結果が出なければ、「否」の意見が噴出することもあるだろう。ただ、少なくとも新庄氏の経歴、資質が「監督に不向き」とは思わない。そもそも「監督」は「コーチ」とは違い、選手を直接的に指導する立場にはない。求められるのはチームをマネジメントし、フロント、コーチ陣、選手たちの心の向かう先を一方向に束ねる能力だ。「求心力」や「人心掌握術」と言い換えてもいい。
その意味で、現役時代に選手、指導者、そして日本中の野球ファンから愛された新庄氏には、これ以上ない素養がある。
選手を見極める目や技術解説も高度、懸念があるならば
評論家として日本のプロ野球をほとんど見ていない点も、大きな問題にはならないだろう。たとえば海外からやってくる外国人監督が日本の野球選手をどれだけ知っているかと言われたら、疑問符がつく。選手を知らないのであれば、これから知ればいい。
少なくとも、選手の能力を見極める「目」に関して言えば、新庄氏はたびたび自身のSNSやYouTubeで驚くほど高度な技術解説を行ってきた。むしろ、過去の実績を知らないからこそ、フラットな視点で選手を評価できるかもしれない。
ただひとつ、懸念していることもある。