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「これだけはしろよと言うたことさえ、できひんのが今の子やね」立浪和義が引退直後に語っていた“若い選手への喝”

posted2021/11/03 11:02

 
「これだけはしろよと言うたことさえ、できひんのが今の子やね」立浪和義が引退直後に語っていた“若い選手への喝”<Number Web> photograph by KYODO

中日の新監督に就任した立浪和義氏

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橋本清

橋本清Kiyoshi Hashimoto

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KYODO

ミスタードラゴンズこと、立浪和義氏が現役引退から12年の時を経て、中日ドラゴンズの監督に就任した。そこで、現役引退直後に自身の思いをPL学園の同級生・橋本清氏に語った、「Sports Graphic Number」744号(2009年12月24日発売)掲載の特別インタビューを公開する(肩書などは当時)。

PL学園で甲子園春夏連覇を成し遂げ、プロ入り1年目から開幕スタメン――。22年間、ドラゴンズの顔であり続けた稀代の打者が、遂にバットを置いた。現役時代、常に険しい表彰でプレッシャーと戦ってきた男は、スマートなプレースタイルとは裏腹に、胸の内に硬質な魂を抱き続けてきた。PLはもちろんボーイズリーグからの球友が、戦いを終えた彼の心境に迫る。

◆◆◆

野球に「“楽しく”という表現は出てこない」

――9月30日の本拠地最終戦の引退セレモニーで「22年間プレッシャーのなかで戦ってきたけど、今日は楽しく野球をできた」って言ってたな。タッさんの口から野球を楽しむなんて言葉は初めて聞いた。

「順位も決まってたし、久しぶりのスタメンやったからね。腰があまり良くなかったから不安もあったけど、思い切りやりたいと思って。“楽しむ”という表現は使ったことなかったけど、実際あの試合は楽しめた」

――その戦い続けてきたプレッシャーの正体ってなんなの。

「毎日、結果に追われてたからね。若い頃はがむしゃらでよかった。大変なのは戦力として計算してもらえるようになってからやね。いい給料もらって、大きな期待背負ってやるわけやから、悪いといろいろなこと考えるし、やりたいと思っても身体がついてこないこともある。ケガしてしまったら終わりだしね。だから常にマインドは野球。グラウンド行ったら、その日の試合のことしか考えられへん。オフだけやったね、救いは。好きなことをして気持ちを休めて。休みがあるからまたがんばろうと思える」

――俺からしたら意外やけど、記者の人とかは、話しかけにくかったらしいで。

「とにかく余裕はなかった。野球のことに集中したいから、これから試合というときにニコニコとしゃべってられへんかった。皆がどう思っていたかは分からないけど、それだけ野球に没頭してきた」

――会見の時も、マスコミの人に謝ってたもんな。しゃべらへんかったことを。

「まあ、できるだけ話しかけられたくなかったから、しゃべらさへんオーラ出してたと思うわ(笑)。野球って明るく楽しくとかいうけど、実際はそうじゃない。勝ち負けとか成績とか常に結果と隣り合わせでやってるわけで、だから“楽しく”という表現は出てこない。厳しく明るくならええけどな。溌剌として活気があるとか」

星野仙一から教わった“プロ野球の厳しさ”

――しゃべらんわけじゃないけど、野球になると黙々と言葉少なになる。そこはタッさん、厳しかったもんな、昔から。

【次ページ】 「ニコニコやるというスタイルは好きじゃない」

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