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落合博満からいきなり「お前は競争させねえからな」13年前、中日に移籍してきた和田一浩が感じていた“落合の怖ろしさ”
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKYODO
posted2021/11/03 17:02
04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした
外から見た中日は、選手が勝利に必要なことだけを淡々とこなしているように映った。 2007年の日本シリーズで完全試合目前だった山井大介を交代させた継投は、鮮烈な記憶として残っていた。そうした断片的な印象をもとに落合の人物像を描いていた。
だが濃青と白のユニホームに袖を通してみると、すぐにそのイメージは覆されることになった。
落合と初めて言葉を交わしたのは、移籍してすぐの沖縄キャンプだった。和田がバットを担いでベンチ裏のロッカールームを出ると、細い通路の向こうから落合がやってきた。 指揮官はすれ違いざまに言った。
「お前は競争させねえからな」
和田はすぐには何のことかわからなかったが、続く言葉で合点がいった。
「開幕に合わせて、自分でやれ」
落合はそれきり監督室に入ってしまったが、和田はしばらくその場に立ち尽くしていた。そんなことを言われたのはプロ生活12年で初めてのことだった。
じつは和田には、新しいチームに対して僅かながら引け目があった。35歳の自分がフリーエージェントによる補強戦力として入ってきたことで、若い選手たちのポジションが1つ埋まってしまうからだ。
それが世の中に、とりわけ中日のような地方球団のファンに受け入れられ難いことはわかっていた。この世界ではいつだって、若くて新しいスターが待ち望まれている。だから地元放送局のインタビューには、「競争して、ポジションを勝ち取りたいです」と答えていた。事実、その覚悟だった。
だが、落合はそんな和田の引け目を「お前は競争させねえ」という一言で吹き飛ばした。 メディアの前でもそう公言した。
「この世界は実力社会だ。年齢は関係ない――」
パ・リーグで首位打者の実績がある和田に対し、何も証明していない若手選手には競争する権利すらないというのだ。
「いいか、自分から右打ちなんてするな」
シーズンに入ると、さらに意外なことがあった。
ある試合でノーアウト2塁の場面となった。クリーンアップを任された和田は、最低でも3塁へランナーを進めなければならないと考えた。だから定石通りに1、2塁間へゴロを打った。全体のために己を犠牲にするプレーであった。
すると試合後、ベンチ裏の監督室に呼ばれた。紙コップに入ったコーヒーがテーブルに置かれているだけの整然とした部屋だった。
落合は眉間に皺を刻んで、語調を尖らせた。