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《J通算220ゴール》「ストライカーは育てられますよ」佐藤寿人の成長を加速させた“好男さんのアドバイス”とは?
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/10/11 11:01
現在は、解説業だけでなく後進の指導にも積極的に関わっている佐藤寿人。J通算220ゴールを挙げた男の道のりには、次世代につながるヒントが多く残されている
「育てられますよ。だって、僕は育ててもらいましたから」
長年の疑問に対し、いともあっさりと答を口にした男がいた。彼は、体格には恵まれなかった。取り立てて俊足というわけではなかったし、持久走に関してはどこのチームに行っても落ちこぼれ組だったという。
それでも、彼はJリーグ通算で220点を叩き出した。日本代表では、合算すれば7試合分ちょっとにしかならない総出場時間の中で、4ゴールをあげた。
佐藤寿人である。
なぜ自分はJリーグで史上もっともゴールをあげた男になれたのか。そう自問した時、佐藤寿人には思いつく答がいくつもある。中でも大きな意味を持っていたのが、ジュニアユース時代の出会いだった。
岡田ジャパンを支えた加藤好男
「あの当時のジェフにはホントに素晴らしい指導者の方がいて、いろんなことを教えていただいたのですが、コーチが加藤好男さんだったっていうのも、あとになって思えば凄く大きかったと思います」
東京の本郷高から大阪商大に進み、ジェフ市原の前身である古河電工に入社した加藤は、当時の日本人ゴールキーパーとしては異色の理論派としても知られていた。野球における1000本ノックのような、いわゆる気合と根性で技術を習得するしかないと考える指導者が圧倒的だった時代に、たとえばペナルティエリアを細かく区分けし、クロスボールに対し、ここに来たら出る、ここに来たらステイ──といった具合に、とかく感覚で片づけられがちだったゴールキーパーのポジショニングに新たな、そして明確な判断基準を持ち込んだ人でもあった。
それでも、フィリッポ・インザーギに憧れていた佐藤少年にとって、加藤が理論派であるかどうかにさしたる意味はなかった。本人曰く、およそ才能に恵まれたとは言い難く、ジュニアユースの中でもBチームが指定席だったという少年が幸運だったのは、加藤が選手生活の最後の1年間、Jリーガーとしてプレーしていたことだった。
「いや、凄いわ、ラモン・ディアス。ほら、ゴールキーパーって相手がシュートを打つタイミングに合わせてステップ踏むだろ。ディアスって、そのタイミング自体をズラしてくるんだよ。普通の選手が1、2、3で打ってくるところ、1、2、2.8とかで打ってくる」
専門誌の記者だったわたしは、当時、加藤の連載を担当していたこともあり、元アルゼンチン代表の名手について熱く語るのを聞いた記憶がある。日本代表としてもプレーした加藤だが、ラモン・ディアスのようなタイプのストライカーと対峙したことはなかったという。
その熱は、どうやら佐藤寿人にも向けられていたらしい。
「シュート練習の時、好男さんがキーパー目線のアドバイスをくれるんですよ。それが物凄くなるほどって思わされることが多くって」