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みのもんたの“幻のセリフ”「五輪、ついに名古屋に決まりましたね」40年前、なぜ名古屋はソウルに完敗したのか?《消えた名古屋五輪》 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2021/10/06 11:02

みのもんたの“幻のセリフ”「五輪、ついに名古屋に決まりましたね」40年前、なぜ名古屋はソウルに完敗したのか?《消えた名古屋五輪》<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

1981年のIOC総会、開催地決定を受けて特番の備えていたみのもんた。「88年のオリンピック、ついに名古屋に決まりましたね」というセリフは幻に終わった(写真は1991年撮影)

 1979年に発表された構想案では、オリンピック開催時の主会場に名古屋市東部の平和公園が選ばれ、ここにメインスタジアム・屋内水泳プール・屋内体育館が建設される予定だった。「簡素な五輪」を謳っていただけに、オリンピックのために新設するのは主会場以外では名古屋市総合体育館(1987年オープン。現在の通称は「日本ガイシ スポーツプラザ」)のみとされ、そのほかの競技会場には既存の施設を改修するなどして充てることになっていた。

 だが、主会場には変更の可能性の懸念があったことが、招致失敗後にあきらかになる。『毎日新聞』中部本社版の1981年10月30日付の記事によれば、予定されていた平和公園は、上空を飛ぶ航空機の騒音が問題視されたほか、起伏の少ないマラソンコースをとるのにメインスタジアムを低くつくらねばならず、そのためには山を削りダンプカー70万台分の土砂を運ぶ必要があったという。こうした懸念から、愛知県と名古屋市は別々にひそかに代替地を選び、一部の施設については設置計画案までつくっていた。

 また、愛知県三好町(現・みよし市)が最有力候補地だった選手村も、跡地利用の見通しが立たないことからほぼ断念、こちらも代替地の検討がひそかに進められていた。前掲記事ではほかにも、ボクシング会場に予定されていた名古屋市体育館が、消防法違反に問われかねない水増し観客数をIOCに報告していたことなど、計画のずさんさを示す事例が多数指摘されている。これらの問題に加えて、開催経費も招致活動中から増大が見込まれた。当初の構想案では930億円だったのが、1981年6月に名古屋市が示した試算では1100億円と、170億も増額されていた。

 このような有様では、たとえオリンピック招致に成功しても開催までにさまざまな問題が生じていたに違いない。見通しの甘さには、先の東京五輪とも共通するものを感じる。逆にいえば、名古屋五輪の計画のずさんさが改めてきちんと検証されていれば、東京五輪の開催が決まってからあれほどまでに問題があいつぐこともなかったのではないだろうか。

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